この日は中央区にある

地下鉄・長堀橋駅の周辺を散策。
※(ながほりばし)



0611_01

こちらが長堀橋。(の地上)

橋という名前がついてますが

周囲に橋はありません。


昭和38年(1963年)

長堀橋は撤去されてしまったそうで

現在は名称だけが残っています。



0611_02

そんな長堀橋

「堺筋」「長堀通」

交差する北東の角


ここの植え込みの中に

見覚えのある石碑を発見。

「旧町名継承碑」だ。



0611_03

この白くて青くて四角いのが

「旧町名継承碑」


昭和時代の区画整理で消滅した

昔の町名を現代に伝えるために

大阪市が設置した石碑で


大阪市内を歩き回っていると

様々な場所で見かけます。



『この継承碑、結構埋まってへん?』

『たしかに』

『確か1mくらい高さあった気がするから
 頭だけ出とる感じやろか』

『下半分くらい埋まってるね』

『埋め過ぎやねぇ。
 このパターンはなかなか無いわ』



継承碑の埋まり具合を

やたらと気にする嫁のまーさん


青いプレートの碑文さえ確認できれば

石碑の機能は果たしてくれるので

埋まり具合はどうでもいいんだ。



『何でこんなに埋めたんやろ?』

『なんか恨みでもあったんやろか?』

『それとも大事にしようとして
 ここまで埋めたんやろか』



埋まり具合はどうでもいいんだ。

まーさんよ。




0611_04

どうやらこの辺りは昔、

「末吉橋通一~四丁目」

という町名だったようだ。

読み方は「すえよしばし どおり」



詳細については写真をご覧ください。


「末吉橋通一~四丁目」

関わる部分だけ以下に抜粋。



「末吉橋通一~四丁目」


明治5年3月
当地域が末吉橋通一~四丁目となる。

その後、南区・大阪市に編入され

昭和57年2月
住居表示の実施にともない
「末吉橋通一~四丁目」
南船場一~四丁目の各一部となった。

町名の由来は
「末吉橋」の架かる西に連なることから。
※(すえよしばし)



「末吉橋」は現在も存在し、

ここから長堀通を東に向かった所の

「東横堀川」に架かっています。


元々は江戸時代の初期

海外貿易を営む商人が架けた橋だそうで、


何度か架け替えられているものの

名称は当時から続く歴史のある橋です。



地元の人々に親しまれた橋の名前を

そのまま町名に用いたんでしょうね。



0611_05

継承碑の頭から正面を見た風景。

「堺筋」「長堀通」の交差点が

ここからよく見える。



0611_02

中央区の交通の要所に

ひっそりと埋まっている


「末吉橋通一~四丁目」の旧町名継承碑


近くを通り掛かった際は

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2018年5月に撮影したものです。


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【旧町名継承碑「末吉橋通一~四丁目」】



最寄り駅は
地下鉄・長堀橋駅