この日は大阪の北区と中央区を跨ぐ
「天満橋」の周辺を訪れました。
天満橋は
「大阪城」のすぐ西側に架かっている橋で
浪華三大橋の一つに数えられています。
ちなみに読み方は「てんまばし」。
「てんまんばし」じゃないよ。
そんな天満橋の南詰。
「OMMビル」という
巨大なオフィスビルが建つ場所の
歩道にある植え込みの中に
見覚えのある石碑を発見。
『こんな所にも
「旧町名継承碑」がある!』
『ここ今まで何度も通ってたのに
全然気付かんかったなあ・・・』
『多分、植え込みの外側を
ぐるーっと回ってたからだよ』
『あー、そういえばそうやね』
嫁のまーさんと一緒に
意外な場所にあった継承碑を眺める。
この植え込みは
歩道内の中洲のようになっていて
継承碑は内側にあたる場所に
建っていました。
私達はずっと交差点と繋がる
外側を通っていたので
気付かなかったようです。
知らない方のために説明すると、
「旧町名継承碑」とは
昭和時代の区画整理で消滅した
昔の町名を現代に伝えるために
大阪市が設置した石碑のこと。
要約すると
昔の町名が記された石碑。
この辺りの旧町名は
「京橋一~三丁目」
※(きょうばし)
という名前だったようだ。
詳細については写真をご覧ください。
内容を簡単に抜粋したものは
↓からどうぞ。
「京橋一~三丁目」
明治5年3月
京橋二~六丁目と公収火除地が合併して
「京橋一~三丁目」となる。
※公収火除地とは防火用の空き地の事です
※公収火除地とは防火用の空き地の事です
その後、東区・大阪市に編入され
昭和8年3月
網島町・相生町の各一部が
京橋一丁目に編入される。
平成元年2月
東区と南区が合区して中央区になる。
さらに住居表示の実施にともない
「京橋一~三丁目」は
「京橋一~三丁目」は
天満橋京町、北浜東、大手前一丁目の各一部となった。
町名の由来は
その昔、京都への水陸路の用地で
「京橋」という橋が架けられていた事から。
ここから北東の場所に
大阪のターミナル駅として有名な
JR京橋駅があるので
現在はその周辺が京橋と呼ばれているけど
昔はこの辺りが京橋だったようだ。
改めて考えたらJR京橋駅周辺の町名は
東野田町、片町、網島町という感じで
※(ひがしのだ まち) (かたまち) (あみじま ちょう)
「京橋」の名前は無い。
町名を調べていくと
町の移り変わりが分かって面白いね。
継承碑を正面から見た写真。
上の方に見える緑色のヤツは
二層構造になっている天満橋の
上の層となる道路。
渋滞緩和のために橋を二層にしたらしい。
ぐるっと回り込んで
植え込みの外側から継承碑を撮影。
正面に見えるガラス張りの建物が
「OMMビル」。
ここから東へ向かうと
「大阪城」に辿り着きます。
天満橋の南側にある
「京橋一~三丁目」の旧町名継承碑。
近くを通り掛かる事があれば
ぜひ眺めていってみてください。
※この記事の写真は2018年5月に撮影したものです。
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※MAPの「京阪建物(OMMビル)」の天満橋沿いにある植え込みの中です
最寄り駅は
京阪線・天満橋駅
地下鉄・天満橋駅
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