この日は大阪の北区中央区を跨ぐ

「天満橋」の周辺を訪れました。


天満橋

「大阪城」のすぐ西側に架かっている橋で

浪華三大橋の一つに数えられています。


ちなみに読み方は「てんまばし」

「てんまんばし」じゃないよ。



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そんな天満橋の南詰


「OMMビル」という

巨大なオフィスビルが建つ場所の

歩道にある植え込みの中に

見覚えのある石碑を発見。



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『こんな所にも
 「旧町名継承碑」がある!』

『ここ今まで何度も通ってたのに
 全然気付かんかったなあ・・・』

『多分、植え込みの外側を
 ぐるーっと回ってたからだよ』

『あー、そういえばそうやね』



嫁のまーさんと一緒に

意外な場所にあった継承碑を眺める。



この植え込みは

歩道内の中洲のようになっていて

継承碑は内側にあたる場所に

建っていました。


私達はずっと交差点と繋がる

外側を通っていたので

気付かなかったようです。



0605_03

知らない方のために説明すると、


「旧町名継承碑」とは

昭和時代の区画整理で消滅した

昔の町名を現代に伝えるために

大阪市が設置した石碑のこと。



要約すると

昔の町名が記された石碑。



0605_04

この辺りの旧町名は

「京橋一~三丁目」
※(きょうばし)

という名前だったようだ。


詳細については写真をご覧ください。


内容を簡単に抜粋したものは

↓からどうぞ。



「京橋一~三丁目」


明治5年3月
京橋二~六丁目と公収火除地が合併して
「京橋一~三丁目」となる。
※公収火除地とは防火用の空き地の事です

その後、東区・大阪市に編入され

昭和8年3月
網島町・相生町の各一部が
京橋一丁目に編入される。

平成元年2月
東区と南区が合区して中央区になる。

さらに住居表示の実施にともない
「京橋一~三丁目」
天満橋京町、北浜東、大手前一丁目の各一部となった。


町名の由来は
その昔、京都への水陸路の用地で
「京橋」という橋が架けられていた事から。



ここから北東の場所に

大阪のターミナル駅として有名な

JR京橋駅があるので

現在はその周辺が京橋と呼ばれているけど

昔はこの辺りが京橋だったようだ。



改めて考えたらJR京橋駅周辺の町名は

東野田町、片町、網島町という感じで
※(ひがしのだ まち) (かたまち) (あみじま ちょう)

「京橋」の名前は無い。



町名を調べていくと

町の移り変わりが分かって面白いね。



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継承碑を正面から見た写真。


上の方に見える緑色のヤツは

二層構造になっている天満橋

上の層となる道路。

渋滞緩和のために橋を二層にしたらしい。



0605_06

ぐるっと回り込んで

植え込みの外側から継承碑を撮影。


正面に見えるガラス張りの建物が

「OMMビル」。


ここからへ向かうと

「大阪城」に辿り着きます。



0605_02

天満橋の南側にある

「京橋一~三丁目」の旧町名継承碑


近くを通り掛かる事があれば

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2018年5月に撮影したものです。


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【旧町名継承碑「京橋一~三丁目」】

※MAPの「京阪建物(OMMビル)」の天満橋沿いにある植え込みの中です


最寄り駅は
京阪線・天満橋駅
地下鉄・天満橋駅