本日は
昨日の記事と同じ場所、
大阪は西区の「靱公園」周辺を
※(うつぼ こうえん)
散策した時のお話です。
こちらは昨日の写真。
奥に見える広い道路が「なにわ筋」。
靱公園を真っ二つにする形で
この道路が南北に走っています。
あ、そうそう。
手前の赤茶色の石碑が気になる方は
こちらのリンクからどうぞ。
内容:昨日の記事のやつ
先ほどの「なにわ筋」の交差点を
グニィッと東に曲がると
マンションの敷地内に
石碑が建っていました。
縦長の石碑の隣に
横に長い石碑もあった。
光の反射で少し見えにくいけど
「靱尋常小学校跡」
※(うつぼ じんじょう しょうがっこう あと)
と刻まれている。
『ここに小学校があったのかな』
『そういうことやろね』
『尋常じゃない小学校もあるのかな』
『はぇ?』
『尋常小学校って戦前の学校のことやで』
『じーちゃんが尋常小学校に通ってた
とか言うてはったから覚えてる』
なんか嫁のまーさんが知ってた。
歴史に疎いので私は知らず・・・。
地名とか個別の校名とかではなく、
「尋常小学校」という名称なんだそう。
明治19年(1886年)~昭和16年(1941年)まで
義務教育を受ける機関として
「尋常小学校」が設置され
その後は「高等小学校」などへ進学する。
というのが
昔の教育過程だったそうです。
お隣には
「靱」と校章らしきものが入った瓦が。
靱尋常小学校の校舎に
使われていた瓦だろうか。
右下のはなんだろう?
ヒラタケの化石かもしれない。
・・・多分違うな。
『たっくさん、尋常小学校知らんのか。
勉強せえへんかったんやろ?』
『おっ? なんだオイ?』
『そっちがその気なら
こっちは屯田兵の話するぞオゥ?』
『急やなーっ!?
屯田兵くらい知っとるちゅーねん』
『ヒグマに遭遇したら鼻を狙え!』
『知らんわっ!』
図星だったので
まーさんが知らなそうな
北海道の知識で攻撃する。
なんとか勝てた。
改めて石碑を。
この靱の地域にあった尋常小学校だから
「靱尋常小学校」。
歴史に対して無知な私が
介入したので話が長くなりましたが
見る人が見れば
「戦前の小学校跡かー」
と一発で分かる話でした。
調べてみた所、
後ろに建つ大きなマンションが
「靱尋常小学校」の跡地だそうです。
こちらは最初に見つけた縦長の石碑。
「甘露寺侍從御差遣
光榮記念」
と刻まれている。
『おいヒグマめ、アレを読みたまえ』
『誰がヒグマやねん!』
『読め、読、よっ・・・読めへんわ!』
ヒグマが諦めたので
後から色々と調べてみた。
こちらは「甘露寺 受長」さんという
※(かんろじ おさなが)
昭和天皇にお仕えした華族の方が
この地を訪れたことを伝える
記念碑だそうです。
「靱尋常小学校」との関連性が
あるかどうかは不明ですが、
一緒に設置してあるので
おそらく甘露寺氏が
学校を訪れた記念碑なんだと思います。
「靱尋常小学校跡」の石碑の裏側。
びっしりと碑文が刻まれていますが
石碑は柵の中にあるので
立ち入りませんでした。
戦前の尋常小学校跡地の痕跡を示す
「靱尋常小学校跡」の石碑。
靱公園にお立ち寄りの際は
ぜひ一緒に眺めていってみてください。
※この記事の写真は2018年2月に撮影したものです。
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