この日は大阪の西区を代表する公園、
「靱公園」の周辺を散策しました。

これは以前、
靱公園内で発見した
「楠永大神」という御神木の姿を
※(くすなが おおかみ)
離れた所から撮影した写真。
実はこの写真を撮った時、
撮影位置近くの歩道脇で
石碑を一つ見つけていました。
あ、楠永大神について気になる方は
こちらのリンクからご覧ください。
内容:凝縮された森のような御神木様

その石碑というのがこちら。
「永代橋 門樋橋」
と刻まれていました。
永代橋は「えいたいばし」
門樋橋は「もんぴばし」
ありがたいことに
ふりがなが振ってありました。
『新しい石碑だねー』
『ピッカピカで反射しとるな』
『ちょっ、前出ないで!
反射して姿映ってるから』
『ほぁっ!?』
嫁のまーさんの姿が
反射して石碑に映り込むくらい
新しくてピカピカの材質。
赤い花崗岩かな。

正面から撮った写真もありますが
いずれも私かまーさんの肉体の一部が
映り込んでいたため
ここからは斜めの写真になります。
お許しください。

石碑には
「永代橋」と「門樋橋」
2つの橋についての碑文が
ズラズラ~と並んでいる。
寛永元年(1624年)
つまり江戸時代、この地域に開削された
「海部堀川」というかなり大きな川に
※(かいふ ほりかわ)
この2つの橋は架けられていたそうだ。

こっちは反対側から。
橋の説明だけ。
かなり簡単にまとめるつもりなので
詳細を知りたい方は
一つ前の写真と合わせて
碑文の内容をご覧ください。
「門樋橋」
「永代浜」という浜に水を注ぐ
「永代堀」の上流部に設けられた橋。
通常の橋でなく門樋(=水門)だったので
その名残が橋名になった。
「永代橋」
江戸時代に開削された「海部堀川」に
当時から架けられていた橋。
「永代浜」に通じる橋なのでこの橋名。
「永代浜」というのは
※(えいたい はま)
※(えいたい はま)
江戸時代頃、この靱公園付近に
海産物の干物市場があって、
その市場の商品を運搬するために
作られた荷揚げ浜のことです。
こちらも以前記事にしたので
知りたい方はこちらからどうぞ。
内容:靱公園には昔、浜があったよ
石碑の左下にあった
古地図を拡大したもの。
文化3年(1806年)と書いてあるので
江戸時代後期あたりの地図かな?
拡大したものなので見えにくいけど
橋が沢山架かっているのが分かる。
ちなみに
「永代橋」「門樋橋」どちらの橋も
昭和26年に海部堀川が埋め立てられて
一緒に姿を消してしまったそうです。

時代の流れと共に役目を終えた
2つの橋の歴史を示す
「永代橋 門樋橋」の石碑。
靱公園に遊びに来たら
ぜひ眺めていってみてください。
※この記事の写真は2018年2月に撮影したものです。
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【「永代橋 門樋橋」の石碑】
※MAPの「なにわ筋ビル」向かいの歩道脇にあります。
最寄り駅は
地下鉄・本町駅
地下鉄・阿波座駅
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