この日は

大阪北区の中心「梅田」から

御堂筋沿いをに進んで

「堂島アバンザ」に向かっていました。



改めて地図見たら

御堂筋を通ったことで

すごい遠回りになってるな・・・。



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道なりの信号が無い横断歩道で

車が通り過ぎるのを待っていると・・・。



『そこの角にあるの石碑ちゃう?』

『んん? 何言ってんのキミ」

『そこ! 建物の角! 下!』

『ボコボコした石に
 何か書いてあるやろ?』



一緒に来た嫁のまーさん

建物の角にある石材の異変に気付く。

ボコボコした石って・・・



0523_02

ボコボコした石とやらに

近付いてみる。


「史跡 蜆川跡」

と刻まれていた。

「蜆」の読み方は「しじみ」



『本当だ、何だこれ?』

『ほら言うたやん、石碑やろ!』

『石碑なの? これ・・・』

『でもこんなん石碑以外ないやろ!』


『石碑・・・』


『石碑ー・・・やろかコレ・・・?』



自信がなくなっていくまーさん

なんだか妙なモノを見つけてくれた。



0523_03

ぐるっと横断歩道側に回ってみる。

「しじみばし」

と書いてあった。



『これ橋の石柱みたいなヤツかな』

『それっぽい形してるなあ・・・』

『昔ここに橋でもあったんやろか?』


『そういえば蜆川って、昔あった
 曽根崎川の別名だったはず』

『前に「曽根崎川跡の石碑」を調べた時に
 確かそんな話が出てきたよ』

『あー! 北新地の所にあったアレか!』



北新地の所にあったアレについては

↓↓のリンクをご覧ください。


内容:北新地の所にあったアレ





0523_04

「しじみばし」の面を真横から。

見ての通り、非常に分かりづらい。


周囲を探してみたけど

案内板のような物は見当たらず。



発見しにくい上に

発見しても解説がないこの状況では

通った人も「???」

終わってしまうだろう。



そんなわけで、先ほど話に出た

「曽根崎川跡の石碑」を発見した時に

調べたことを簡単にまとめておきます。



『蜆川跡』


正式名称は「曽根崎川」

南にある堂島川から分岐した川で

現在の北新地を東西に流れていた。


川で蜆(しじみ)が沢山取れたことから

「蜆川」の別名が浸透する。


明治42年(1909年)

「北の大火」という大火災が発生。

瓦礫で川の上流部が埋め立てられる


その後、大正13年(1924年)

下流部も埋め立てられて姿を消した



あの近松門左衛門の代表作、

「曾根崎心中」にも登場したそうですが

現在は何も残っていません。




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石碑が埋め込まれている建物の様子。

三角にとがった面白い形をしている。


ちょうどこの建物がある所を

「蜆川」が流れていたそうなので

名残でこんな形をしているのかな。



建物の名前は・・・

標識の歩く人に阻まれて見えない。



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ちょっと角度を変えた。


建物は滋賀銀行のようだ。

それにしても

石碑が風景に溶け込んで分かりにくいな。


ここを左の道に進んでいくと

北新地エリアに入ります。



大阪の北新地といえば

高級飲食店やクラブなどが並ぶ

歓楽街として有名な場所ですが、


「堂島新地」「曽根崎新地」として

江戸時代から「新地」の名で存在し、

その名称が指す通り

遊郭が沢山あったそうです。
※遊郭=いやらしいお店で~す



0523_07

当時ここに川が流れていたことを

そ~っと教えてくれる

「史跡 蜆川跡」の石碑



御堂筋沿い梅田方面から

「大江橋」に向かう途中にあるので

見つけたら眺めていってみてください。



※この記事の写真は2018年4月に撮影したものです。


↓↓↓押すと蜆が出てくるボタン↓↓↓

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【「史跡 蜆川跡」の石碑】



最寄り駅は
JR東西線・北新地駅
京阪線・大江橋駅