この日は
大阪北区の中心「梅田」から
御堂筋沿いを南に進んで
「堂島アバンザ」に向かっていました。
改めて地図見たら
御堂筋を通ったことで
すごい遠回りになってるな・・・。
道なりの信号が無い横断歩道で
車が通り過ぎるのを待っていると・・・。
『そこの角にあるの石碑ちゃう?』
『んん? 何言ってんのキミ」
『そこ! 建物の角! 下!』
『ボコボコした石に
何か書いてあるやろ?』
一緒に来た嫁のまーさんが
建物の角にある石材の異変に気付く。
ボコボコした石って・・・
ボコボコした石って・・・
ボコボコした石とやらに
近付いてみる。
近付いてみる。
「史跡 蜆川跡」
と刻まれていた。
「蜆」の読み方は「しじみ」。
『本当だ、何だこれ?』
『ほら言うたやん、石碑やろ!』
『石碑なの? これ・・・』
『でもこんなん石碑以外ないやろ!』
『石碑・・・』
『石碑ー・・・やろかコレ・・・?』
自信がなくなっていくまーさん。
なんだか妙なモノを見つけてくれた。
ぐるっと横断歩道側に回ってみる。
「しじみばし」
と書いてあった。
『これ橋の石柱みたいなヤツかな』
『それっぽい形してるなあ・・・』
『昔ここに橋でもあったんやろか?』
『そういえば蜆川って、昔あった
曽根崎川の別名だったはず』
『前に「曽根崎川跡の石碑」を調べた時に
確かそんな話が出てきたよ』
『あー! 北新地の所にあったアレか!』
北新地の所にあったアレについては
↓↓のリンクをご覧ください。
内容:北新地の所にあったアレ
「しじみばし」の面を真横から。
見ての通り、非常に分かりづらい。
周囲を探してみたけど
案内板のような物は見当たらず。
発見しにくい上に
発見しても解説がないこの状況では
通った人も「???」で
終わってしまうだろう。
そんなわけで、先ほど話に出た
「曽根崎川跡の石碑」を発見した時に
調べたことを簡単にまとめておきます。
『蜆川跡』
正式名称は「曽根崎川」。
南にある堂島川から分岐した川で
現在の北新地を東西に流れていた。
川で蜆(しじみ)が沢山取れたことから
「蜆川」の別名が浸透する。
明治42年(1909年)に
「北の大火」という大火災が発生。
瓦礫で川の上流部が埋め立てられる。
その後、大正13年(1924年)に
下流部も埋め立てられて姿を消した。
あの近松門左衛門の代表作、
「曾根崎心中」にも登場したそうですが
現在は何も残っていません。
石碑が埋め込まれている建物の様子。
三角にとがった面白い形をしている。
ちょうどこの建物がある所を
「蜆川」が流れていたそうなので
名残でこんな形をしているのかな。
建物の名前は・・・
標識の歩く人に阻まれて見えない。
ちょっと角度を変えた。
建物は滋賀銀行のようだ。
それにしても
石碑が風景に溶け込んで分かりにくいな。
石碑が風景に溶け込んで分かりにくいな。
ここを左の道に進んでいくと
北新地エリアに入ります。
大阪の北新地といえば
高級飲食店やクラブなどが並ぶ
歓楽街として有名な場所ですが、
「堂島新地」「曽根崎新地」として
江戸時代から「新地」の名で存在し、
その名称が指す通り
遊郭が沢山あったそうです。
※遊郭=いやらしいお店で~す
当時ここに川が流れていたことを
そ~っと教えてくれる
「史跡 蜆川跡」の石碑。
御堂筋沿いを梅田方面から
「大江橋」に向かう途中にあるので
見つけたら眺めていってみてください。
※この記事の写真は2018年4月に撮影したものです。
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【「史跡 蜆川跡」の石碑】
最寄り駅は
JR東西線・北新地駅
京阪線・大江橋駅
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