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本日の内容は先週末と同じ場所。


地下鉄・蒲生四丁目駅から
※蒲生(がもう)

南東にある今福の住宅街に
※今福(いまふく)

ひっそりとあったお社の話です。



先週末の記事が気になる方は

こちらのリンクからご覧ください。
※見なくてもこのまま読み進められます。

内容:地元に根付くお稲荷様




0521_01

さっきの写真から少しへ向いたもの。


ゴミ袋が並んでいる所の右端に

石碑が建っている。

今回はこちらに注目。



0521_02

大阪の街中で

よく見かけるタイプのだ。

後ろに案内板も設置されている。




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碑には

「大坂冬の陣 古戦場
 今福 蒲生の戦い跡」

と刻まれていた。


今居るこの場所、今福

ここから今里筋を挟んで西にある地域

蒲生戦国時代の古戦場だった。

という碑のようだ。



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碑の右側面。

「後藤基次 木村重成
 奮戦の地跡」
※(ごとう もとつぐ)
 (きむら しげなり)

と刻まれている。



こちらの二名は

豊臣と徳川の間で戦が起こった

「大阪の陣」

豊臣方についた戦国武将


後藤基次については

「後藤又兵衛」の名前の方が
※(ごとう またべえ)

有名かもしれませんね。



0521_05

碑の左側面

平成27年3月に建立されたようだ。

かなり新しい。


この記事を書いているのは

平成30年なのでつい3年前に

建てられたものだ。



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こちらが碑の後ろにある案内板


「大坂冬の陣」でこの場所が

激戦地となった経緯が書かれている。

詳しくは写真をご覧ください。


ここに詳細を書いていくと

案内板と同じくらい長くなるので

簡単にまとめて以下に抜粋します。



慶長19年(1614年)

徳川方の「佐竹義宣」
※(さたけ よしのぶ)

今福・蒲生に陣を置いて

大坂城を守る豊臣方を攻撃。


初戦は佐竹軍の優勢だったが

豊臣方の「木村重成」「後藤基次」

援軍として部隊を引き連れて猛反撃。


追い込まれた佐竹軍は

川を挟んだ先の鴫野方面から

豊臣方を攻撃していた「上杉景勝」
※(うえすぎ かげかつ)

援軍を求めて豊臣の追撃を食い止めた。



簡単にしたのに長くなった・・・。


現在でこそ今福蒲生

閑静な住宅街という感じの町並みですが

400年ほど前の戦国時代は

激しい戦場だったようです。



0521_01

当時の今福蒲生鴫野などの地域は

水田や沼地が広がる

低湿地帯だったそうです。


そのため豊臣・徳川両軍の戦いも

堤防上での攻防になったのだとか。


今の住宅街の様子からだと

当時の様子が全く想像ができない。

堤防なんてのも無いし。



ちなみに「上杉景勝」が陣を置いたという

「鴫野の古戦場」については

以前記事にしたものがあるので

こちらのリンクからどうぞ。

内容:小学校前にある撮影に気まずい石碑





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戦国時代の古戦場跡を示す

「大坂冬の陣 古戦場
 今福 蒲生の戦い跡」の碑


近くを通り掛かった際には

お隣の稲荷神社と一緒に

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2018年2月に撮影したものです。


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【大坂冬の陣古戦場跡】



最寄り駅は
地下鉄・蒲生四丁目駅