先週末から飛んで再び、

大阪市西区にある大きな公園

「靱公園」のお話になります。
※(うつぼ こうえん)



これまでの記事は↓からどうぞ。

内容:靱公園は昔、干物市場だったよ


内容:靱公園には昔、浜があったよ


内容:白蛇伝承がある曰く付きの大樹





0502_01

こちらの写真は

靭公園の「うつぼテニスセンター」

というテニス場の南側


ここから右手側の位置に

石碑・御神木・神社・地蔵堂など

様々なものが鎮座する一角がある。


今回はその中の

神社の横にあった石碑に注目。



0504_07

それがこちら。

「御霊宮 旧蹟」と刻まれている。



『・・・何て読むんだろう?
 ごれい? ごりょう?』

『どっちやろ? 分からへん・・・』



一緒に来た嫁のまーさん

読み方について首を傾げる。
※後で調べたら「ごりょう」でした。


『とりあえず「宮」ってついてるし
 神社の跡地ってことだよね?』

『多分そうやろなあ』

『隣の神社と関係あるんやろか?』




0508_01

その隣の神社というがこちら。


「うつぼ楠永神社」という名前で
※(くすなが じんじゃ)

「御霊」の字は入っていない。



0504_01

撮影時点では知らなかったけど


「うつぼ楠永神社」

お社の後ろにある

(写真の)「楠永大神」という御神木

祀るために創建されたものだそうだ。



0504_07

そんなわけで

「御霊宮」
について調べてみた。



800年代後半、この「靱」には

「圓神祠」という土地の神様を祀る
※(つぶら しんし)

が存在していた。


その後、文禄3年(1594年)

因幡鹿野藩(現在の鳥取県鹿野町)

藩主である「亀井 茲矩」
※(かめい これのり) 戦国時代の武将・大名

圓神祠に祀られた土地の神様のために

自身の邸宅敷地の一部を寄進して

遷座させた



まとめると

800年代後半から祀られていた

「圓神祠」とその神様を

安土桃山時代に別の場所へ移したため


後年になってから

移される前の場所となるここに

「御霊宮旧蹟」の石碑

建てられたという事かな。



移した先を「御霊神社」という
※(ごりょう じんじゃ)

名前に改称したそうなので

その名前を取って

石碑に「御霊宮」と刻んだのでしょう。



「圓神祠 旧蹟」じゃダメだったのかな。

なんかややこしい・・・。



ちなみにこの「御霊神社」

現在の靱公園から少し北東の方向、

大阪市中央区淡路町に存在しています。



0508_02

石碑の裏側の碑文

昭和30年に建立したようだ。


少し読みにくいですが

亀井家、旧蹟地、御霊神社など

先ほど調べたワードが並んでいました。


「御霊神社」

移される前の場所を推定して

この場所に石碑を建てた。


という旨が書かれている模様。



0504_07

遥か昔に

土地の神様を祀っていた場所を示す

「御霊宮旧蹟」の石碑


靱公園に立ち寄った際は

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2018年2月に撮影したものです。


---押してもらえると嬉しいアレ---

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村



大阪府ランキング



【御霊宮旧蹟】

※MAPの「うつぼ楠永神社」お社の東側にあります。


最寄り駅は
地下鉄・本町駅
地下鉄・阿波座駅