この日は「大阪天満宮」から見て

西側にある地域「西天満」を散策。


この辺りの土地勘が無い人には

ちょっと伝えにくい場所なんですが


梅田から見て南東

中之島がある川の手前辺りだと

思ってもらえれば大丈夫です。



0501_01

ここはそんな西天満

京阪国道の国道沿い。



まだ午前中だけど

ビジネス街という事もあって

道行く人々で溢れている。



・・・今、写真見るとそうでもないな。


本当に人が沢山いたんです。

信じてください。



0501_02

さっきの場所からくるっと回れ右。


とあるビルの植え込みの中に

見覚えのある石碑を発見。

「旧町名継承碑」だ。




0501_03

継承碑が設置されているのは

「ASビル」という高層オフィスビル。


何やら南国を彷彿とさせる

浮かれた植物達に囲まれている。



0501_04

この石碑って何なの?

という方のために説明させていただくと



こちらは「旧町名継承碑」


昭和時代の区画整理で消滅した

昔の町名を現代に伝えるために

大阪市が設置した石碑です。



大阪市内を散歩している時、

ふと歩道脇や植え込みなどに

視線を向けると置いてあったりします。



0501_05

この辺りは昔

「富田町」

という町名だったようだ。

読み方は「とみた まち」かな。



光の反射で少し読みにくいですが

詳しい内容は写真をご覧ください。

「富田町」に関わる部分だけ抜粋します。



「富田町」

明治5年3月
南富田町、北富田町が合併し「富田町」となる。

その後、区や大阪市などへ編入され

昭和53年2月
住居表示の実施にともない「富田町」
西天満三・五丁目の各一部となった。

町名の由来は
弘仁12年(821年)、源融が伊勢神宮の分霊を
この地域の孤島に勧請した故事に因む。
富田は伊勢両宮が所在するこの地域の地名だった。



由来の説明が分かりにくい・・・。


ここから下は私の知っている話と

推測による町名由来の説明になるので

面倒な人は飛ばしてください。



まずこの場所、

西天満を含む梅田周辺の地域は

遥か昔の821年頃

まだ海や湾の一部だった。


その中に浮かぶ孤島の一つに

源融が伊勢神宮の分霊を移して祀り、
※(みなもと の とおる)

そこに「富田」という地名が付けられた。


その故事にあやかって

その地域付近だったこの地を

「富田町」という町名にした。



はぁはぁ・・・。

これで合ってますか?

大阪市さん。



ちなみに源融「源氏物語」

光源氏のモデルになった人だそうです。



0501_03

古くからの歴史がある「富田」

町名が付けられていた事を示す


「富田町」の旧町名継承碑


人通りが多くて

立ち止まるのに少し躊躇する場所ですが

通り掛かった際は眺めてみてださい。



※この記事の写真は2018年3月に撮影したものです。


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【旧町名継承碑「富田町」】



最寄り駅は
JR東西線・大阪天満宮駅
地下鉄・南森町駅