この日は
地下鉄・本町駅と四ツ橋駅の間にある
「新町」の東側辺りを散策しました。
場所で言うと西区の東端。
「西の東って何言ってんだこの人」
って思うかもしれませんが
思わないでください。
ありがとうございます。

南北に走る阪神高速の高架下沿いを
フラフラと歩いていると
ちょっと広めの植え込みの中に
謎の物体が並んでいるのを発見。
『なんか石碑みたいなのが二つあるよ』
『おわぁ・・・なんか虫おりそうやな』
一緒に来た嫁のまーさんが
草がワサワサ生えている現場を見て
虫の存在に怯え始める。
ちなみに写真にある高架下から
右側に行くと中央区になる。

二つ並んでいたけど
それぞれ別の内容の物だった。
なので今回はこちらの
右側の石碑のようなモノに注目。

中央には
「西六平和塔」
※読み方は「さいろく へいわとう」
と刻まれていて、
字を記した当時の大阪市長の名があった。
そしてその下段には
ズラズラと碑文が書かれている。

下段の碑文をアップにした写真。
内容を確認すると、
こちらは石碑ではなく
戦災・戦争犠牲者の慰霊碑だったようだ。
満州事変、日華事変、大東亜戦争などで
この地区から出征して戦死された方、
そして昭和20年3月13日に
大空襲を受けて町が焦土と化し
300名以上に及んだ犠牲者の方、
その方々を鎮魂するための慰霊碑。
という説明が書いてある。
という説明が書いてある。

神妙な気持ちになりつつ、
失礼して回り込んで裏側を確認。
狭くて撮りにくかったため
自分にはこれが限界だった。
昭和32年3月に
「光禅寺」というお寺の境内に
慰霊碑を建立したと書いてある。
下段にある連名は
おそらく建立に関わった方々のもの。
中央の石材に
取っ手のような窪みがあるけど
用途はよく分からない。

『ごゥあっ?!』
『えっ、大丈夫!?』
『・・・つまづいた』
『足に虫つけんといてな。確認してな?』
写真はつまづいた拍子に
シャッターを押してしまったもの。
それより、まーさんの心配のベクトルが
自己保身的なのは気のせいだろうか。

後から色々と調べてみた所、
この「西六平和塔」の
「西六(さいろく)」とは
「西六(さいろく)」とは
この西区内の町々の連合名だそうです。
また、最初に慰霊碑が建立された
「光禅寺」は現在の慰霊碑がある場所から
ほぼ真西の位置にあるようです。
時代の流れと共に境内が狭くなったため
慰霊碑を移転する事となり
公園内や福祉会館前などを経て
現在の阪神高速の高架下に
安置されたとの事です。

昭和時代の戦争で犠牲となった
この地域の方々を鎮魂する慰霊碑
「西六平和塔」
枯れ葉や雑草が鬱そうとしていて
少し近寄りにくい雰囲気がありますが
近くを通り掛かった際は
戦没者の方々に
手を合わせていただけたらと思います。
手を合わせていただけたらと思います。
※この記事の写真は2018年2月に撮影したものです。
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【西六平和塔】
最寄り駅は
地下鉄・四ツ橋駅
地下鉄・本町駅
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