この日は

大阪のターミナル駅の一つして知られる

「京橋駅」の周辺を散策。


と言っても

駅の表側となる北口の改札や

飲食店街が並ぶ場所ではなく、

裏手の大川沿いの細い道を散策。



0423_01

大阪城と繋がる西の方向へ

歩みを進めていると

歩道橋の下に見覚えのある石碑を発見。


というか上のアレ、

歩道橋って呼び方でいいのかな?



京橋駅を利用した事がある人なら

分かると思うのですが

ダイエー(現在はイオン)とかにも

繋がっているあの長ひょろい

連絡通路みたいなヤツの事です。

ひとまず歩道橋でいいや。



0423_02

こちらの石碑は

「旧町名継承碑」というもの。


昭和時代の区画整理で消滅した

昔の町名を現代に伝えるために

大阪市が設置した石碑。



なんか隣にピラミッドみたいな

謎の物体があるので

そいつの案内板のようにも見えますが

彼らはそういう関係ではありません。



0423_03

はめ込まれているこの青いプレートに

旧町名の経緯や由来が書かれている。




0423_04

なんかシールっぽいのを貼られた跡や

傷がついている・・・。


どうやらこの辺りは

「新喜多町」

という旧町名だったようだ。

読み方は「しぎたまち」


詳細については写真をご覧いただいて

「新喜多町」に関わる部分だけ↓に抜粋。



「新喜多町」

明治33年
新喜多新田字築留、蒲生村字外嶋という
地域が「新喜多町」となった。

その後都島区に編入され

昭和44年9月
住居表示の実施にともない「新喜多町」
片町二丁目の一部となった。

町名の由来は
この地を開発した
鴻池屋十郎・鴻池屋七・今木屋兵衛
の名前を一字取って新喜多とした事から。



かつてこの辺り一帯は

新喜多新田という田畑だったそうで

名称をそのまま町名にしたようですね。



0423_05

「新喜多」といえば

以前にもこの新喜多に関する

集会所の跡地を訪れた事があり、


そこでも

田畑の開発を行った三名の名前を取って

「新喜多」にしたという

話が触れられていましたね。



その時の記事については
↓に貼ったリンクからどうぞ。

内容・京橋から東大阪まで田畑だったよ。




ところで
「新喜多会所跡」の案内板だと

開発者の内の二人の苗字が


鴻池 新十郎
鴻池 喜七


だったんだけど

今回の継承碑の碑文には


鴻池屋 新十郎
鴻池屋 喜七


と書かれている。

どちらが正しいんだろう。



0423_06

継承碑から向かい側を見た写真。

すぐ先は大川が流れている。


この真正面には大阪城公園がある。

川を二つ越えなきゃいけないけどね。



0423_05

京橋の裏手にひっそりと佇む

「新喜多町」の旧町名継承碑


近くを通り掛かった際は

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2018年3月に撮影したものです。


---押してもらえると嬉しいボタン---

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村



大阪府ランキング



【旧町名継承碑「新喜多町」】



最寄り駅は
JR環状線・京橋駅
JR東西線・京橋駅
京阪本線・京橋駅
地下鉄・京橋駅