この日は地下鉄・南森町駅から
西にある西天満を訪れました。
知らない人にこの辺りの場所を
説明をしようとすると難しいのですが
大雑把に言うと
大阪天満宮と梅田の間ぐらいの場所です。
大阪天満宮から見て
西側の地域なので西天満。
と覚えると分かりやすいのかな。

ここはそんな西天満の
5丁目と6丁目の間。
急に5丁目6丁目とか言われても
困るかもしれませんが
「これだ!」と言える
目印がないので納得してください。
困っているのは私も一緒です。
しいて目印を上げるなら
たくさんの車が横に走っている
あの道路が「京阪国道」
っていうのと、
この辺を通った事がある人なら
写真中央の「エフワン」と書かれた
青い看板を見てなんとなく
「あーあのへんかー」と
思えるような場所。

それよりこちらにご注目ください。
「旧町名継承碑」を見つけました。
手前の白っぽい石碑がソレです。
青いプレートが埋め込まれているヤツね。

この「旧町名継承碑」というのは
昭和時代の区画整理で消滅してしまった
昔の町名を現代に伝えるために
大阪市が設置した石碑。
大阪市内の色々な場所に置かれていて
発見次第、このブログに載せています。

どうやらこの辺りは昔
「梅ヶ枝町」
という町名だったらしい。
読み方は「うめがえ」かな?
詳しい内容は写真・・・を
光の反射で読みにくいな・・・。
でもなんとか読んでくれ。
「梅ヶ枝町」に関わる部分だけ↓に抜粋。
「梅ヶ枝町」
明治33年4月
西成川崎という地域の一部が東梅ヶ枝町に
北野という地域の一部が西梅ヶ枝町になる。
大正13年6月
東梅ヶ枝町、西梅ヶ枝町が合併して「梅ヶ枝町」となった。
昭和53年2月、7月
住居表示の実施にともない「梅ヶ枝町」の一部は
西天満三~六丁目の各一部となり
残りは野崎町、兎我野町の各一部となった。
町名の由来は
菅原道真の愛好した梅にちなんだ事から。
明治には東と西に分かれていた
「梅ヶ枝町」が大正時代に合体して
昭和でまたバラバラになり
名前すらも消えていく・・・。
これも時代の流れなんでしょうね。

継承碑から北を向いた写真。
このまま道なりに真っ直ぐ進んでいくと
以前紹介した「龍王大神」という
道路の真ん中に不自然に残されている
御神木がある場所に辿り着きます。
一応、リンクを↓に貼っておきます。
・道路にそびえ立つ、曰く付きの御神木

西天満の京阪国道付近にある
「梅ヶ枝町」の旧町名継承碑。
近くを通り掛かった際は
ぜひ眺めていってください。
※この記事の写真は2018年3月に撮影したものです。
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【旧町名継承碑「梅ヶ枝町」】
※MAPにあるファミリーマートの歩道脇にあります
最寄り駅は
JR東西線・大阪天満宮駅
地下鉄・南森町駅
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