この日は地下鉄・肥後橋駅の西側

「江戸堀」方面を訪れました。


散策中にお腹が空いたので

ラーメン屋さんに立ち寄りつつ

周辺をグルグルと見てまわる。



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洒落た感じの黒塗りの建物。

ここの右端に石碑があるのを発見。




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竹のニセモノみたいな

小さくて細いヤツに埋もれている石碑


側面に「大阪府」と刻まれているので

府が設置したもののようだ。



『やっぱりコレ石碑だ』

『こんな綺麗な庭先みたいな所に
 設置してあるもんなんやな』



さっき食べた節系ラーメンの

魚介のニオイを漂わせながら

石碑を眺める嫁のまーさん



・・・野良猫に絡まれたらいいのに。


絡まれて口の周りをザラザラの舌で

ベロンベロン舐め回されればいいのに。




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碑の正面

・・・読めない。


竹のニセモノの妨害もさる事ながら

何が書いてあるのか私程度では解読不能。




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碑の隣に案内板があった。

ありがとう。


どうやら

「頼山陽 生誕地」

という碑だったようだ。



・・・誰だろう?



案内板を見てもちょっと分からない。

よく見たら8行中5行くらいは

頼山陽さんのお父さんの情報だ。



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分からないから調べてみた。



「頼山陽(らい さんよう)」


江戸後期に大坂のこの地に生まれた文人
※文人=現代の作家みたいな人

直後、父の頼春水が広島藩に招かれたため
※頼春水(らい しゅんすい)

わずか半年ほどで大坂から広島へ転居。

父との確執など紆余曲折の人生を歩みながら

学問に励んでいく形となり、

京都に移り住んだ後に「日本外史」を著述した。



どうやら大阪で生まれはしたものの

その人生のほとんどは

広島や京都で暮らしていたようですね。




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碑の右側面

多分「昭和10年~~」って書いてある。

おそらく碑が建立された日付。



ちなみに

頼山陽の著書「日本外史」というのは
※日本外史(にほんがいし)

日本の武士・武家の物語を描いた歴史書

平安時代の源平の合戦から

江戸時代の徳川家に至るまでの

歴史の流れが記されたものだそうです。



史実とのズレや、文体が俗っぽいなどで

批判されたりする事もあったようですが

その一方で、

小難しい書物よりも分かりやすいと

評されている作品のようです。



実際、幕末の頃は人気の書物となり

初代総理大臣の伊藤博文

新撰組局長の近藤勇なども

愛読していたそうですよ。



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内容が分かった所で

改めて碑を見てみると解読できた。


「此附近頼山陽生誕地」


この付近、頼山陽 生誕の地

刻まれているようですね。

生から下は地面に埋もれてるみたいだけど。



興味のある方は

ぜひ西区の江戸堀を訪れてみてください。



※この記事の写真は2018年2月に撮影したものです。


【「頼山陽生誕地」の碑】



最寄り駅は
地下鉄・肥後橋駅