この日は東成区の
「今里」周辺を散策しました。
地下鉄の新深江駅方面から
今里駅方面へ
国道沿いの道を通っていた時のこと。
信号待ちをしていた時に
ふと白い筒状の建物がある事に気付く。
『あれなんだろ・・・?』
『ウチも思っとった。なんやろ?』
一緒に行動していた嫁のまーさんも
気になっていたらしい。
正面に扉のようなものがあり、
天井はぽっかりと開いていて
空洞になっているように見える。
なんだあれ・・・。
正面に回って信号を待つ。
空洞がダムの穴みたいで
ちょっと恐怖感を覚える。
『隣の病院の施設かな?』
『んー? でもあんなん
他の病院で見たことないで?』
『それもそうだね』
『地下鉄の換気するヤツっぽくも見える』
『それも思ったんだけど・・・
この辺に地下鉄の施設ないよね』
『そうやなあ・・・』
扉の前にはフェンスがあって
近寄れない雰囲気。
見れば見るほど謎が深まる。
『ん? 横になんか石碑ある』
『え・・・あ。本当だ』
白い円柱建築物の横に
よく見ると石碑がある。
建物が気になりすぎて全然見てなかった。
信号を渡って石碑に近付いてみる。
石碑というよりは石灯籠?
古い神社とかでたまに見かける
石製の灯篭に少し似ている。
『世話人 富村弥三七』
と刻まれていました。
すぐ横に碑文が刻まれた石碑を発見。
これによると
この横にある石灯篭は「道標」らしい。
詳しい内容は写真をご覧ください。
一応↓に簡単にまとめておきます。
この道標は
文化3年(1806年)に建てられたもの。
元々はこの地から東へ20メートル先の
暗越奈良街道と北八尾街道の
分岐点に建っていたが
道路工事でここへ移された。
※暗越奈良街道(くらがりごえ なら かいどう)
※暗越奈良街道(くらがりごえ なら かいどう)
北八尾街道(きた やお かいどう)
どうやら200年ほど前に建てられた
街道の道標だったようですね。
元々あった場所からここに移された時に
向きが変わってしまって
現在は正しい表示先を示していないそうです。
なんだそれ。
直せ。すぐ直せ。市。
石碑の裏側。
何も書いてませんでした。
改めて道標を見てみる。
想像していた通り
上部の穴は火を灯すためのものらしく
夜間に道行く人に役立てていたようだ。
世話人として刻まれている人名は
この道標を管理していた人かな。
こちらの面が道標の表示。
上のひらがなっぽいのは
ちょっと難しくて読めないですが
下の方に「八尾」、「久宝寺」と
刻まれているのが分かります。
ぐるりと回って反対側の面へ。
右側は「文化三年」とあるので
おそらく建立した日付。
寅年の春頃に建てたという意味かな?
左側は「施主」とあるので
「江戸積釘問屋」という釘商人の方が
道標建設に出資したのだと思われます。
こちらも道標の表示。
左に行くと
「いせ(伊勢)」、「なら(奈良)」に続く
街道があるという表示。
道標のすぐ横にあった細い路地。
変なワープゾーンみたいなマスが
地面に延々と続いている。
これ多分、街道とかの歴史的な場所を
示している目印なんですよね。
大阪の町を歩いていると
地味に結構見かけます。
大今里の国道沿いで
謎の建造物に引き寄せられて発見した
謎の建造物に引き寄せられて発見した
「街道の道標」。
近くを通られた際は
ぜひ足を止めて眺めてみてください。
結局最初に目に止まった
あの白い建造物はなんだったんだろう。
これについては分からない。
※この記事の写真は2018年2月に撮影したものです。
【大今里の街道道標】
※Mapの「医療法人まえだクリニック」隣の角にあります。
最寄り駅は
地下鉄・新深江駅
地下鉄・今里駅
近鉄線・今里駅
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