この日は中央区西区

境目辺りをグルグルと散策。


地下鉄・肥後橋駅を降りて

すぐ側に見える

阪神高速道路の高架沿いを

に向かって進んでいると・・・。



0216_01

オフィス街の片隅に

大きな石碑が鎮座していました。



『あっ。石碑がある』

『ウチが先に見つけた!』



得意顔で石碑を指差すのは

散策に着いてきた嫁のまーさん



実は私がこの石碑に会うのは

これで二回目。


以前見た時は仕事中に通った時。

もちろん、まーさんは居ませんでした。


その時は

ブログを開設する遥か前だったので

「こんな所に古い石碑があるな」

と思ったくらいで素通りしていました。



そんな裏背景があるとも知らず

得意顔をするまーさん

私はどう答えてあげればいいのでしょう。




『・・・うん。石碑だねぇ』

『今日のは絶対ウチが先に見つけた!』

『エッヘヘ!』



うっわぁ。嬉しそうだなぁー。

放っておこう。



0216_02

石碑に近付いてみる。

かなり大きい。

碑文がびっしりと刻まれているけど

漢字だらけで解読できない。



『なんて書いてあるの?』

『分からん・・・読めへんわ』

『まーさんが見つけたんだよ。
 ちゃんと読みなさいよ』

『えー・・・うーん』

『なんか「町」と「呉」っぽいの
 書いてあるけど後は読めへん・・・』



自分が最初に見つけたという

謎の自負からか

頑張って解読を試みるまーさん


確かに上の大きな字に

それっぽい文字が見える。



0216_03

正面から見た写真。


後から調べてみたところ

「伏見呉服町之碑」

という石碑だったようです。

字は右から左に読むタイプですね。


知ってから改めて石碑を見ると

確かにそう書いてあるように見える。



どういう石碑なのか経緯を調べたので

内容をまとめて

以下に書き出しておきます。

面倒な人は茶色い字を飛ばそう。



「伏見呉服町之碑」


天正12年(1584年)

大坂城を築いた豊臣秀吉の命令で

京都伏見の呉服商人がこの地に移住

以後「伏見呉服町」として栄える。


江戸時代には

伏見呉服町の端を流れる

西横堀川が開削された。

そこには「呉服橋」が架けられ、

商いを支える重要な水路となった。


洪水などの水害で度々流される

「呉服橋」であったが、

呉服商の「墨屋作兵衛」という人物が

橋の架け替えや修繕費用に遺産を託し

その功績によって町は更に発展した。


この石碑は「墨屋作兵衛」

功績を称える記念碑である。




どうやら

「伏見呉服町」という町名と

その町に多大な貢献をした

呉服商の墨屋作兵衛さん

称える記念碑だったようです。



「伏見呉服町」

明治と昭和の区画整理によって

残念ながら消失したとのこと。


ある意味でこれも

「旧町名継承碑」なのかもしれませんね。



0216_04

石碑の左側面

解読が難しい・・・。


どうやら何人かの人名が

刻まれているようでした。


石碑を建てた発起人の方々かな。



0216_05

石碑の裏側

裏は何もありませんでした。



0216_06

ぐるりと回り込む。

石碑の右側面と裏側

こちらも何もありませんでした。


苔がモケモケ生えてるね。

よく見ると土台の石も

結構年代モノだぞ。



0216_07

消失した町の名前と

その町の偉人の業績を称える

「伏見呉服町之碑」


お近くを通り掛かった際には

是非ご覧になっていってください。



※この記事の写真は2018年2月に撮影したものです。


【伏見呉服町之碑】



最寄り駅は
地下鉄・肥後橋駅