本日の記事は
ほぼ昨日の続きからになります。
良かったら
昨日の記事も一緒にご覧ください。
↓昨日のソレ
北区の天神橋には
「大阪天満宮」という大阪の人なら
大抵は知っている神社があります。
この大阪天満宮の南東方向に
「滝川公園」という
縦長のごく普通な公園があります。
これが滝川公園の出入口。
これが滝川公園の中。
ごく普通の公園だ。
しかしよく見てみると、
写真のような石垣があり
同じ公園内なのに段差があるという
ちょっと変わった形をしています。
公園にあった
石碑(昨日記事にしたモノ)によると
この地は昔「天満興正寺」という
お寺があったそうで、
この石垣は境内とかの名残なのかな~?
とそんな感想を抱きました。
ってところまでが前回のあらすじ。
この石垣を上がった場所は
写真のような広場になっています。
鳥がいっぱいいるね。
一匹だけカラスが紛れ込んでる。
彼にも事情があるのかもしれないから
モザイクかけておくね。
ちなみに
いつも一緒にいる嫁のまーさんは
遊具の場所で子どもを遊ばせています。
公園の端っこ。
地図でいうと北西の位置に
ひっそりと石碑が建っています。
写真の真ん中あたりにあるヤツです。
こちらが碑の写真。
「天満組惣会所跡」
と刻まれています。
すごく近付いてみた。
改めてみると土台が結構しっかりしてる。
碑の右側面。
碑に関する説明が刻まれてます。
詳しいことは写真をご覧ください。
他の史料と合わせた簡単な説明を
以下に書き出しておきます。
「天満組惣会所」
江戸時代の大坂は
天満組、北組、南組という3組に区分され
それらを総称して大坂三郷と呼称された。
各組には惣会所が設置され、
大坂町奉行から自治が認められていた。
この碑より北西隣の一角に天満組の惣会所が存在した。
「惣会所」というのは現代でいう
役所に近い事務所だったようです。
「天満組惣会所」は
当時の天満界隈一帯の自治・管理を
行っていた役所という事になりますね。
昨日記事にした石碑に書かれていた
「天満興正寺」というお寺が
天満組の住民の戸籍を
管理していたという事なので、
お寺のすぐ側に惣会所が
設置されたのでしょうね。
石碑の裏側。
昭和44年3月に建立されたようです。
石碑の左側面はツルツル。
何も刻まれていませんでした。
碑から公園側を見た風景。
植え込みやベンチがある
広場になっています。
後で調べていた時に知ったのですが
惣会所が存在した跡地に
案内板が置かれているそうです。
写真の赤丸で囲んでる部分に
チラッと見えるのが、その案内板。
碑に夢中で全く気付かなかった・・・。
案内板のことを後から知ったので
実は、今日追加の撮影に行こうと思って
準備していたんですが・・・。
嫁のまーさんに
『出掛けるなら、特売の洗剤買ってきて』
と天満方面とは正反対にあるお店に
お使いを頼まれました。
お店は家からかなり遠い場所。
お使いに行けば、もう撮影に向かうための
体力は残らない。
・・・ブログのために戦うしかない。
『天満方面行くからそっちは無理だよ』
『洗剤もうあらへん』
『今日安いから買い逃したくない』
『でも写真撮れなくなる・・・』
『今日の記事だから急ぎだし』
『えー・・・でも洗剤あらへん』
『洗濯できへん』
『洗剤あらへん・・・』
・・・・・・。
そんなわけで
お使いで買ってきた
洗剤の写真貼っとくわ。
天満の「滝川公園」にある
「天満組惣会所跡」の碑。
近くへ立ち寄った際には
「天満興正寺御坊址」の石碑と一緒に
眺めていってみてください。
※この記事の写真は2018年1月に撮影したものです。
機会があれば案内板の写真も追加します。
気長にお待ちください・・・。
【追記・2018年2月某日】
案内板の写真を撮影してきました。
場所は「滝川公園」の北西。
「助六食品」という
食品加工会社さんのお隣。
ホームページを見たら
イカくんとかのおつまみを
製造している会社だった。
商品のイカくん超見たことある!
というか何度か
美味しくいただいてる!
その節はお世話になりました。
駐車スペースの間にある
植え込みの中。
大阪市教育委員会が設置した
案内板が置かれている。
こちらが案内板。
説明の内容は上記で紹介したのと
ほぼ同じなので割愛します。
左側の地図を拡大してみると
確かにこの案内板がある場所に
「天満組惣会所」があったようですね。
詳細については写真をご覧ください。
というわけで
以上、追記でした。
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【天満組惣会所跡】
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JR東西線・大阪天満宮駅
地下鉄・南森町駅
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