この日は大阪北側の中心地
「梅田」をぐるぐると散策。
JR大阪駅から見て北東の位置にある
茶屋町の辺りを歩いていると・・・。
『石碑だ!』
『石碑だ!』
一緒にいた嫁のまーさんとほぼ同時に声を上げる。
「梅田東コミュニティ会館」と書かれた
古い建物の前に唐突に石碑がありました。
ちなみに
会館の出入口はチェーンで封鎖されています。
どんなコミュニティだ?
すぐ目の前には「阪急三番街」があります。
この辺りは何度か通ってるはずですが
碑に気付いたのは初めてです。
正面から見た写真。
L字型の壁に碑が完全に隠れているので
阪急三番街側の道からここを通っても
大半の人は気付けないと思う。
『ここチェーンしてるけど災害時避難所なんだ』
『ホンマやな』
『災害の時ちゃんと入れてくれるんやろか?』
『この凌雲閣跡の一角だけ使っていいって言われたらどうする?』
『えー・・・そんなん別の避難所探すわ』
『一応周りの石に座って避難できるの。座る?』
『何を守ってくれんねん』
『おしり』
※おしりとはケツの事です。
『別の避難所探すわっ!』
たぶん、有事の際は
ちゃんと避難させてくれると思います。
こちらが「凌雲閣跡」の碑。
根元の黒い石畳がちょっと古そう。
側面にも碑文が刻まれていたのですが
写真を撮り損ねていました。
残念・・・。
碑の左側にあった銀色の説明板。
大阪市教育委員会が発行。
同じようなタイプの説明板を他でも見たので
市が頑張って作っているのでしょう。
ありがとう、市。
説明板のアップ。
チェーンがあるのでどうしても斜めからに。
詳しい説明は写真をご覧ください。
一応私の方で簡単にまとめた説明を
以下に書き出しておきます。
「凌雲閣跡」
明治22年(1889年)
当時この場にあった「有楽園」という公園の中心となる施設として「凌雲閣」が建設された。
高さ39メートル、木造9階建ての建造物で、9階には展望台と時計台が存在した。
詳細は不明だが、昭和の始めには撤去されていた。
説明を見ると「凌雲閣」とは
観光名所的な展望台といった感じでしょうか。
説明板に出てきた「有楽園」、
公園というよりは今で言う遊園地のような
かなり大きな施設だったようです。
それにしても
撤去された時期がよくわからないっていうのが
謎に深みが出て、なんか面白いな。
『なんかここ学校っぽいね』
『そう言われたら校門っぽい気もするなあ』
調べてみたら
「梅田東小学校」の跡地だそう。
碑の右側には新しく設置されたと思しき
青い説明板もあります。
書いてる内容は
先ほどの銀色の説明板とほぼ同じなので割愛。
碑の向かい側。
大阪工業大学の目の前にあるよ。
大阪キタの中心街、梅田の茶屋町に
ひっそりと佇む「凌雲閣跡」の碑。
近くを通り掛った際は是非眺めていってください。
※この記事の写真は2017年12月に撮影したものです。
【凌雲閣跡】
最寄り駅は
JR大阪駅
阪急線・梅田駅
大阪市営地下鉄・梅田駅
コメント