大阪城のすぐ南側の地域「森ノ宮」


この辺りには「越中井」という

戦国時代の武将「細川忠興」の屋敷跡の史跡があります。


「越中井」については
以前記事にまとめたので下記をどうぞ。





その「越中井」がある場所から

少し南へと進んだ玉造に教会があります。



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右側に見える大きな白い建物が
「カトリック玉造教会」

全体像はありません。

撮り忘れたからです、ハハハッ!



1221_02

この教会の近くに

「旧町名継承碑」を発見しました。


すでにこのブログで何度か登場してますが

この継承碑というのは

町の区画整理の際に消滅してしまった

昔の町名を伝えるために残した石碑です。



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これが「旧町名継承碑」

大阪市内を散策していると
至る所で見かける事ができます。

興味のある人は探してみよう。



1221_04

こちらの継承碑には
「紀伊国町」と書かれています。

読み方は「きいのくにまち」でいいのかな?


詳しい説明は写真をご覧いただくとして、

以下に省略した説明を・・・。



「紀伊国町」

明治初頭、紀伊国町全域と越中町三丁目の一部だったが、

明治5年3月、統合して「紀伊国町」となる。

昭和54年2月、住居表示の実施により紀伊国町は

法円坂一丁目、上町一丁目、玉造二丁目の一部となる。



かつて大阪城の南側には
「越中町」という町があったそうですが

おそらくその町のすぐ南に並ぶように
「紀伊国町」の町が存在したのでしょうね。



「紀伊国」という名前からして

現在の和歌山辺りと関係のある町名だと思うのですが、

継承碑には名前の由来が無くて

詳細な情報は得られませんでした。


ただ豊臣秀吉の時代、大阪城の南側には

大名たちの武家屋敷が並んでいたそうなので

紀伊国と関わりのある大名の屋敷があって

そこからこの町名を因んだ可能性が推測できそうです。



・・・話長くなってごめんね。



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街路の植え込みに

こんな感じで目立たないように佇んでいる

旧町名継承碑


意外な場所にあったりしますので、

町を歩いている時に見かけたら眺めていってください。



※この記事の写真は2017年11月に撮影したものです。


【旧町名継承碑「紀伊国町」】

カトリック玉造教会の横


最寄り駅は
JR環状線・森ノ宮駅
地下鉄・森ノ宮駅
地下鉄・谷町四丁目駅