この日は
「桜ノ宮駅近くの橋辺りになんかの石碑があった気がする」
というあやふやな記憶を元に散策。
ありました。
場所は桜ノ宮と天満を繋ぐ源八橋。
その源八橋の天満橋側で石碑を発見しました。

右側の写真。
源八橋から階段やスロープで降りる事ができます。
遊歩道みたいなところを歩いて
石碑の前に来ました。
立派なお墓のようにも見えますね。

石碑には
「日羅公之碑」と刻まれています。
読み方は「にちらこう の ひ」で合ってるのかな?
『日羅公ってどなた?』
『なんか教科書に出てきた気がする』
一緒に来た嫁のまーさんに聞いてみるも
いつもと同じような答えしか返ってこない。
・・・コイツひょっとして「教科書に登場」って言っとけば
歴史っぽい話では知った風な顔が出来ると思ってるんじゃないだろうな。
カマかけてやろう。
『教科書のどの辺に出てたの?』
『え・・・?』
『あんま覚えてへんけど百済とか高句麗とかそういうあたり?』
『ふーん』
怪しい・・・。
それっぽいこと言いやがって。

石碑の横に説明の碑がありました。
光の反射でちょっと見づらいですが、
5行目の4文字目辺りに「百済」の文字が・・・。
・・・まーさん、すみませんでしたー!!
カマかけたのは内緒にして心の中で謝っておきました。
でもこうしてブログに書いてるから結局後でバレるんだよな・・・。
こちとら「日羅」って漢字見て記憶を漁っても
羅臼昆布くらいしか思い浮かばなかったぜ。
※羅臼(らうす)は北海道の地名です。

ちょっと正面向いた写真。
写真を撮っている麗しい私の影が入ってますが気になさらず。
※「麗しい」は「みぐる しい」と読むんだよ。
石碑には「日羅」の生涯を綴ったと見られる説明があります。
試行錯誤しましたが、どうしても陰が出来てしまいました。
読みにくくて申し訳ありません・・・。
以下は石碑の説明文ほか、
調べた事を簡単にまとめた内容です。
「日羅」
6世紀頃に存在した肥後国(熊本)出身の日本人。
当時、朝鮮半島にあった「百済」という国に仕えた。
百済王に気に入られ官僚職を与えられていたが、敏達天皇の要請を受けて帰国。
帰国後、朝廷の朝鮮半島政策のために献策するが、
それが百済に不利となる内容であったため百済の使節者に暗殺される。
日羅の初葬の地がこの場所であると伝わっている。
今で言う外交官のポジションだった日羅。
日本側へ情報を流すスパイだと判断されて暗殺、
埋葬されたのがこの地だという事でした。
埋葬されたのがこの地だという事でした。

説明の碑の裏側。
『昭和・・・何年だろう?』
『甘いって字に似てるけど、ちゃうな・・・』
その場では読めなかったですが、
昭和13年とのこと。
日羅を慕う方々が発起人となって
この碑を建てたようです。

こちらは石碑本体の裏側。
発起人に記載されてるのと同じ人がいるので
発起人含め、石碑の建立に尽力された方々なのでしょう。

石碑の左側面。
どうやら「日羅公之碑」という字は
「一条実孝(いちじょう さねたか)」という
軍人・政治家の方が書かれた字のようです。

石碑の正面には大川が流れています。
紅葉が綺麗ですね。
右側に見えるのが源八橋です。

1400年以上昔の人物、
日羅の埋葬地と伝わる「日羅公之碑」
天満の大川沿いを訪れた際は
是非眺めていってください。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
※この記事の写真は2017年11月に撮影したものです。
【日羅公之碑】
最寄り駅は
JR環状線・桜ノ宮駅
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