「天満橋」を渡ってへと進み、
谷町方面を目指していた時のこと。


途中の横断歩道で信号待ちをしていると

一緒に来た嫁のまーさん


『・・・あそこに石碑っぽいもんあらへん?』


と指差しました。



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場所は「大阪府庁」がある道沿い。

突き当たりには「大阪城」があります。


『・・・んんー? どこ?』

『あれ、あそこ』

『あのボロッちぃ建物の右側』

『ボロッちぃとか言うなっ』



おわかりいただけただろうか?

写真中央、道路の奥にある

背の低い白い建物・・・。

その右下にひっそりと石碑が・・・。


よくあんな所にあるもの見つけたなぁ。





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信号を渡って碑に近付いてみる。



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碑の正面。
下の方がちょっと擦れて読みにくいですが

「大阪英語学校址」と刻まれています。

「址」は「跡」とほぼ同じ意味ですね。



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横に案内板が設置されてました。

いつ設置されたのかは知らないですが
文字フォントを見るとなんとなく結構な古さを感じます。

碑の由来については写真にある通り。

一応、要約した説明を書いておきます。



「大阪英語学校跡」
(中等・高等教育発祥の地)

明治7年10月大阪英語学校がこの地に設置された。

この学校では一般教科の授業を外国語で行う特色があり、西日本各地から生徒が集まっていた。

「大阪英語学校」の名称は明治12年まで続いたが、次々と名称が変更された。

明治22年、学校は京都へと移され、第三高等学校(現在の京都大学)となった。



まさか名門大学として知られる京都大学の前身が
大阪の、しかも大阪城のすぐ側にあったとは・・・。


あと、カッコ書きでしれっと書いてますが
「中学、高校教育発祥の地」ってのも何気にすごいですよね。



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碑の右側面。

旧字体らしき漢字で
「大阪市青年聨合團」と刻まれています。

「聨合團」は「れんごうだん」と読むようです。



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碑の左側面。

ちょっと字が潰れてますが
「明治天皇聖躅」と刻まれてます。

「聖躅」は「せいちょく」と読むようですね。



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碑の裏面。


『んぎぎぎぃっ・・・!!』

『狭い所に無理して入らんでもええやろ・・・』


一つ前の写真を見ていただければ分かりますが、

狭くて写真が撮りにくかったです。



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『ふぎっぎぃっ・・・フゴッ、ふぎぎぃっ!』

『ブタ鼻鳴らしてまで撮らんでええやん』

『車の人ら皆見とるで・・・』



「大正14年5月10日 建立」

私がブタに成り下がって撮った命懸けの情報です。

ありがたく心に刻み込んでください。




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「大阪英語学校跡」の碑

大阪府庁大阪城を訪れた際など、

機会があれば足を止めて眺めてみてください。



ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

※この記事の写真は2017年11月に撮影したものです。


【大阪英語学校跡】



京阪線・天満橋駅
地下鉄谷町線・天満橋駅
地下鉄谷町線・谷町四丁目駅