この日は大阪の電気街・日本橋を訪れました。

買い物を済ませた後、少し散策してみようと思い

地下鉄日本橋駅から東側を目指してみる事に。


新しい発見があるかなと考えつつ歩いていると・・・。



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『あっ、史跡の碑だ!』

『さっそくあるし!』


一緒に歩く嫁のまーさんと一緒に思わず声を上げる。

なんと歩いて10分もしないうちに
案内板を発見しました。



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碑には「二ツ井戸○蹟」と刻まれています。

○のところが旧字体らしくて読めません。
ついでに「蹟」も旧字体。


『二ツ井戸、から下読んでみ』

『いやいや、そちらが先に読んでくださいよ』

『読めないんでしょ?』

『読めないんやろ?』

『オゥ?』

『おぅ?』



醜い争いが始まりました。



調べてみた所「きゅう せき」と読むようです。
現代の字体だと「旧跡」

「二ツ井戸旧跡」と書いてあったんですね。

よく見るとこの「きゅう」の旧字体。
漢字の右下に「旧」の字が入ってますね。

「きゅう」って単語いっぱい出てきて
よく分からなくなってきたので次に進みますきゅう。



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こちらが案内板。

二ツ井戸についての説明が書かれています。

ササッと簡潔な説明だけ書きますので、
深く知りたい方は写真の方をじっくりご覧ください。



「旧跡 二ツ井戸」

江戸時代の1634年頃、道頓堀の東側に二ツ井戸が存在した。

二つ並びになっている井戸は珍しく浪速の名所として知られた。

しかし時代が移った明治時代、都市計画で二ツ井戸の撤去が決まる。

それを惜しんだ粟(あわ)おこし屋の「津の清」の当主が、井戸の枠を買い取って店頭に移設する形で井戸を保護。

移設されて守られた井戸枠だったが、昭和20年の第二次世界大戦の戦火を受けて修復不可能となる。

戦後の昭和27年、道頓堀西側に店を再建した「津の清」が店頭に二ツ井戸を復元するも、平成12年に井戸は姿を消してしまう。

平成24年(2012)、井戸の銘板と標柱が見つかり、二ツ井戸の由緒を後世に伝えるべくこの地に再移築して復元した。



あれ? 簡潔になってない。

うんざりする文章量だ・・・。



ざっくばらんな説明をすると、

江戸時代に二つ並びになっている珍しい井戸があったよ。

井戸は3回くらい移設されて、今はここに復元された複製品があるよ。

というお話です。



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こちらがその復元されたという井戸。

本物の井戸と比べて85%くらいの大きさだと書いてあるので、

江戸時代の時の井戸はもう少し大きかったようですね。



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井戸の中。

複製品なので当然ながら井戸そのものではありません。

大人一人がしゃがんで入れるかなぁ・・・ほどの大きさ。



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井戸の後ろにある大通りは千日前通り。

阪神高速の高架が頭上を通っています。



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正面から。

ちょうど後ろに車が通ったので大きさが比較できます。



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二ツ井戸のすぐ目の前には、
国立文楽劇場があります。



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『デカすぎて全体像が撮れないや』

『あとから道路の反対側に渡って撮ったらええやん』

『うーん、そうするか』


文楽劇場デカすぎ。

写真の右側に正面入口があるようです。



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最後にもう一度、二ツ井戸の写真を撮りつつ

まーさんの提案にしたがって
信号を渡って反対側に出てみる事に。



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『・・・どうするのこれ』

『かろうじて案内板の頭見えるだけなんだけど・・・』

『いや知らんし』

『高速道路が邪魔で文楽劇場の全貌が明らかにならないんだけど・・・』

『いや、そんなんウチに言われても・・・』

『ブログのラストこれで終わっちゃうよ。いいの?』

『さあ・・・ええんちゃう?』



・・・ええそうなので終わります。






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「二ツ井戸」をご覧になりたい方は
国立文楽劇場を目指すと位置が分かりやすいかと思います。


ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

※この記事の写真は2017年11月に撮影したものです。


【二ツ井戸】