この日は都島区を訪れました。

地下鉄谷町線の都島駅を降りて
少し西へ進んだところにある「都島神社」

その都島神社のある道をへと歩いていくと・・・。



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高層マンションが並ぶ住宅街の中に
背の高い立派な巨木が見えてきます。



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横断歩道を渡って正面から。

電柱の太さや大きさと比較すると
いかに大木であるかが分かるかと思います。


この木は「渡辺綱・駒つなぎの樟」という史跡。

「わたなべのつな・こまつなぎのくす」と読みます。


樹齢900年を越える樟の大木だそうですが、
すでに枯死してしまっているのだとか・・・。

近くに寄って見ていきます。



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赤い鳥居の横にあった石碑

かろじて「渡辺綱」の字が見えますが、
植え込みに隠れて全貌が確認できません・・・。



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『んー・・・上手く撮れないな・・・』

『こっち回ったら見えるで』


どうやって全貌を撮ろうかと四苦八苦していると、

一緒に来た嫁のまーさんが右側に回り込んで手招きしていた。

たしかにこっちからなら確認できる。



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石碑には
「忠君愛国士 渡辺綱之○蹟」
と書いていました。


『これ渡辺綱・・・のあと読める?』

『んー・・・読めへんなあ・・・』

『ほー、読めないんですか。ハハッ』

『(ムカッ)・・・じゃあなんて読むん?』

『んー?』

『「んー」じゃなくてなんて読むん? 読めるんやろ?』

『これはね、渡辺綱のフォゥせきって読むんだよ』

『はい?』

『・・・さ、次にいこうかね』

『おい』

『こっちにも石碑があるよ』

『おい待て。待て! 読めてへんやろ! 絶対読めてへんやろ!!』


白状します。
読めませんでした・・・。



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右側にあった石碑。

「樟街道開墾記念碑」とありました。

この大きな樟の木を目印にした街道が
昔存在していたのでしょうね。



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記念碑の正面には
門が取り付けられていたような跡がありました。

周囲は後の時代から補強したようですが、
石垣や記念碑自体はかなり古そうな感じ。



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時代を知りたいときは石碑の裏側をチェック。

大正元年8月に建てられたようです。
西暦だと1912年

100年以上前の石碑でした。


石碑ゾーンはここで終わりだったので
赤い鳥居の方へ向かいます。



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こちらが鳥居。

奥に小さなお社があり、
稲荷大明神の旗がなびいています。

お稲荷様を祀っているようですね。



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鳥居のそばから樟の木を撮影。


『それにしてもデカいなあ・・・』

『樟の木はさらに隣にあるんやね』



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狛犬ならぬ狛狐

首元にスカーフが巻かれ、色が塗られていました。



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反対側の狛狐さん。


『いい顔してるなあ』

『めっちゃ歯むき出しにしとんな・・・』

『尻尾の丸みが可愛い』

『ホンマや』



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手水鉢のようなものもありました。
濁ってる・・・。



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説明版がありました。
コチラは「楠玉神社」という名前だそうです。

由来の説明を見ると、

どうやら日本製紙、及び日本板紙の工場が都島にあり、

工場の守護神として祀られていたようです。



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こちらがお社。

中には一升瓶のお酒などがお供えされていました。

お賽銭を入れて祈祷できるようにもなっています。



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お稲荷様に挨拶を終えて、
樟の木目指してぐるっと道を回り込む。

並んでいる玉垣がかなり古い。
※玉垣とは神社の境内を囲う柵みたいなやつです。



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石造りの鳥居(写真には写ってないです・・・)
をくぐると拝殿がありました。

施錠された門で閉ざされていますが、
その奥に樟の木が御神木として祀られています。


『こっちに史跡案内の看板あるー』

『え? どこ?』



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都島区役所が設置している史跡案内板

よく見たら説明の端が見切れていた・・・。

かろうじて解読はできると思いますが、少し説明を。



「渡辺綱・駒つなぎの樟」

この辺りはかつて「善源寺荘」と呼ばれ、大江山の鬼退治(酒呑童子)で有名な源頼光が支配する荘園だった。

長徳年間(995~998)、頼光は八幡大神を祀る産土神社を創建。

この樟はその時に頼光が自ら植えたと伝わっている。

当時あった荘園は頼光配下の四天王「渡辺綱」が管理しており、

渡辺綱が産土神社に参詣する際、いつも馬をこの樟に繋いでいたことから「駒つなぎの樟」という名称がついたと伝わる。



とのことです。

酒呑童子や土蜘蛛退治で知られる源頼光
直接植えた木だったとは・・・。

悠久の時間の流れを感じられる場所ですね。


先ほどもチラッと書きましたが、樟は樹齢900年。

大阪府の天然記念物第1号という名誉もいただいてましたが、
戦災によって枯死してしまいました。



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拝殿の横には手水舎がありました。

手前にある石碑はお百度石です。



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手水舎の近くにあった石柱。

見た感じ古そうなので撮影しましたが、正体は不明です。



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手水舎。

透き通った水が波紋を広げています。

上の方には紙製の絵馬が大量にかかってました。



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改めて拝殿の方へ。

ここの台には
先ほどの紙製絵馬が置いてあったようです。

こういう形で置かれているという事は
管理者が常駐しているわけではなさそうですね。

そういえばこの日も人の姿はありませんでした。



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拝殿の神額には
「櫻宮大神」「楠龍王大神」とありました。

門と賽銭箱の奥には、お社があります。
お酒がお供えされているようでした。



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草「うぇ~い」


古い木製看板がありましたが葉っぱが邪魔をする。



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アップで撮り直しました。

どうやら天然記念物に指定された当時の看板のようです。

昭和13年の木製看板・・・すごいなあ。



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拝殿の右側から樟の大木を撮影。

枯死してしまったのが本当に残念です。
立派な木なのになぁ・・・。


隣には「八幡宮旧蹟」という石碑がありました。

「源頼光が八幡大神を祀る産土神社を創建した」

と説明板にあったので、
これを指した石碑と思われます。



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さらに右側の方に、樹木に隠れるように
「駒繋楠」と刻まれた石碑がありました。

四角い穴はなんだろう・・・?



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覗いてみるもよく分からない。

昔の誰かが散歩中の犬とかを繋いで、
駒つなぎの気分を味わってたりしたのかも。

そう考えるとちょっと面白い。



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もう一度見上げてみる。

本当に大きくて立派な樟の木だ。

もし枯れていなかったら
この樟の木1つだけで森のように葉を広げていたかもしれない。



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都島の住宅街の中に佇む「渡辺綱・駒つなぎの樟」

近くを通ることがあれば、是非眺めてみてください。




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

※この記事の写真は2017年9月に撮影したものです。


【渡辺綱・駒つなぎの樟】