本町から天神橋筋方向へと向かっていた時のこと。


『あそこになんか石碑っぽいのあるで』

『おお? ほんまやでやな、石碑やでこら』

『何そのエセ関西弁・・・なんか腹立つわっ』


最近、嫁のまーさんが自分より先に石碑とかを発見するので

悔しさから関西弁で対応するも白い目で見られる。

なぜエセだとバレたのかは分からない。



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場所は「天神橋」という橋のたもと。

天神橋とは
大阪北区の天神橋(町)と中央区の北浜の間を流れる、大川に架かる橋です。


大阪では地名としての天神橋の方に馴染みがあるので、橋の方を天神橋として指すと少々分かりにくいですよね。

写真の石碑は橋の南側=北浜側にありました。


石碑には「皇紀2600年記念」と刻まれています。

調べてみると1940年(昭和15年)

「紀元二千六百年記念行事」という記念事業があったそうで、

その時の事業の一つとしてここに石碑を建てたものと思われます。



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裏側。

京橋三丁目の町会と青年会の名が刻まれました。



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石碑の中心は空洞になっていて、そこに植樹をしたようです。

当時に植樹された木だとしたら、樹齢70年ほどでしょうか?

70年にしてはちょっと小さな気がしますね。



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石碑から右側を見た構図。

北浜はビジネス街で、オフィスビルが立ち並んでいます。


『あ、なんか石碑みたいな・・・』

『うお! 石碑がある!』

『いや、てかウチが先に気付いて・・・』

『いや俺が先に見つけたよやったー』

『おい』

『いやっほぅ~』

『おいこら』


たぶん、ほぼ同時に石碑を発見したんだと思います。


今回は力尽くで私の手柄にしました。

しょせん世の中は弱肉強食なのです。




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石碑には「天神橋 橋歴碑」と刻まれていて
橋の由来について書かれていました。

他の史料と合わせて簡単に説明を書くと、



天神橋1594年、豊臣秀吉の時代に架けられた。

当初は「新橋」と呼ばれていたが、(現在の)大阪天満宮が管理していたことから「天神橋」という名称で呼ばれるようになった。

明治初期までは木製の橋だったが、明治18年7月の大洪水で橋が流されたことで、ドイツより輸入した鉄鋼のトラフ橋に架け替えた。

現在の橋は松屋町筋の道路拡張に合わせ、昭和9年に架け替えたものである。



最初に橋が架けられた時代を遡ると400年以上も前。

普段何気なく利用していた橋がそんなに歴史深いものだったとは。

足を止めてちょっと調べてみるだけで、こんなに面白い話が出てくるとは思いませんでした。



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『実はすごかったんだねぇ、天神橋』

『そうやね、何度も通っとんのに全然知らんかったわ』

『・・・って、なに話変えてんねん』

『ウチまださっきの納得してへんからな』


お。ノリツッコミだ。

大阪の人は面白いなあ。あははふん。



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こちらが「天神橋」です。

「てんーんはし」って書いてるように見えますが、天神橋です。

「天神橋」を渡って「天神橋方面」に行きます。


・・・ややこしいですね。



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橋を渡りきったところに、
古い橋名板みたいなものがありました。

右から左に文字を進ませる右横書きです。

天神橋の北側は「天神橋北詰」という名称があり、
橋名板はこの北詰に設置されていました。



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すぐ隣に「天神橋 橋名飾板」と書かれた石碑がありました。

明治時代に木橋から鉄橋に架け替えた時、
橋に設置した橋名飾板のようです。

石碑下部にある写真が、当時ドイツから輸入したというトラフ橋ですね。

橋の上部中央に橋名飾板があるのが見えます。



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明治時代の遺物が平然と置いてある天神橋。

なんかすごいな。



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それを知ってか知らずか、
今日も大阪の人々はこの天神橋を利用しています。


当たり前のようにそこにある物でも、ちょっと意識を向けてみるだけで色々な事が分かります。

この天神橋に限らず、橋を渡る時に少し周りを見渡してみると面白い発見があるかもしれません。



※※追記※※
同じタイプの橋名飾板を「天満橋」で発見しました。

こちらも合わせてご覧ください。

>>大阪城近く、大川に架かる橋「天満橋」<<





ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

※この記事の写真は2017年9月に撮影したものです。


【天神橋】