この日は一人で淀川堤防を散策。

風景の写真などを撮りながら城北公園の方向へと向かっていると・・・。



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工事現場の可愛いカッパのポールスタンドの向こう側に、お堂が建っているのを発見しました。



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ぐるっと回り込んで全体を撮影。

少し壇のようになっていて、お堂と石碑が並んでいます。

後ろに見える大きな橋は「菅原城北大橋」という橋。



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石碑の方はペットボトルで少し見えにくいですが「千人つか」と刻まれています。


さらに壇には「平和地蔵尊」と標記がありました。

「爆撃犠牲者之精霊」と記されているので戦争の犠牲者を弔うための塚である事がうかがえます。



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ペットボトルを少し横へ失礼して・・・。

これが石碑です。

花やホオズキがお供えされていました。



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ペットボトル、しっかり戻しておきましたよ。

石碑の下には「千人塚由来」と刻まれ、経緯の説明をしていました。



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由来に書いてあった内容や他の史料を合わせて塚の説明を。



昭和20年6月7日、大空襲により大阪の町が壊滅。

大阪市内は死屍累々となり戦災による死者は数万人にも及んだ。

その犠牲者の中で身元不詳であった千数百の遺体をこの地に集め、荼毘に付して遺骨を葬った。
※荼毘に付すとは火葬の事です。

犠牲者への弔い、そして世が移り変わっても忘れないようにと、

終戦後に市民の東浦栄二郎氏が自宅の庭石に「千人つか」と刻んでこの地に安置した。



空襲で犠牲となった千数百の方々の慰霊のために、市民の方が塚を建立。

それが「千人塚」の由来であることが分かりました。


犠牲者の中には、
四国から集まってきて繊維工場で働いていた女学生も含まれていたそうで、当時の空襲がいかに容赦無く悲惨であったかが伝わってきます。



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石碑の横のお堂。

開ける事はできませんが、おそらくお地蔵さんが安置されているのだと思います。



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お堂の横へ回り込むと、がありました。

前面に文字が刻まれているように見えるのですが、残念ながら擦れすぎていて読めませんでした・・・。



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裏手に回って、そのまま塚石の側面へ。

奥にある屋根付きベンチでは、お年寄りの方々が集まって将棋か囲碁を楽しんでいました。



あまりにものどかな風景です。

70年前に空襲を受けた凄惨な様子など想像もできません・・・。

それだけに、こういった碑や塚などを残して後世に伝えていくという行為はとても大事だと思います。




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戦争の犠牲者を弔う「千人塚」

通りかかる事があった際には、
亡くなられた方々へ手を合わせて慰霊の思いを伝えてさしあげてください。





ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

※この記事の写真は2017年9月に撮影したものです。


【千人塚】