扇町公園の中央南端となるこの地点。
ここは太融寺や梅田へと続く広い道路で、すぐそこには阪神高速の入口料金所がある場所です。
さらに奥には扇町公園内にある「関西テレビ」の青い建物が見えます。
この信号を渡った先、フェンスの向こうに不思議なものがあります。
フェンスを越えた先にある石灯篭のようなものと、古そうな石碑。
以前からずっと気になっていたこの場所を、今回は調べていこうと思います。
『・・・ここが入口?』
『入口っぽいね。しっかり施錠されてる』
『誰かが管理してるって事やろうね』
一緒に来た嫁のまーさんと一緒に、フェンス越しから中の様子を観察してみる。
中にある石碑へと続く石の道の上には枯れ葉一つ落ちておらず、かなり丁寧に管理している様子がうかがえる。
『石碑になんか書いてあるけど読めん・・・」
『なんか大明神って書いてるように見えるけど』
もう少し横に寄って、フェンスに張り付くように見てみると。
ようやく見えました。
石碑には「八重垣大明神」と刻まれています。
そして敷地の向こう側もフェンス&鉄線。
向こう側は高速道路の入口なので人が歩けるような場所は無いと思うのですが、それでもしっかりガードしていました。
『かなり厳重に守られてるね、何かあったのかな?』
『コレ触れたらアカン場所なんちゃう? 絶対いわく付きな場所のパターンやん・・・』
『場所も変な場所に立ってる場所やし・・・』
まーさんが恐怖に怯えて「場所」という言葉を何回も言ってました。
・・・落ち着け。
石碑の横には石の祠のようなものがありました。
よく見たら玉垣(神社などを囲う塀)が倒れていました。
手前側にある、玉垣と同じ色合いの塀に四角い跡が残っているので、何か理由があって取り外したものかもしれません。
フェンスの横側に街路樹のような植え込みがあり、そこから覗けそうだったのでちょっと失礼を・・・。
石碑の正面に回ることができました。
しかし、ここもしっかりフェンスでガード。
ますます謎が深まります。
フェンスのギリギリまでカメラのレンズを近づけて撮影。
ようやく全体図が見えました。
お供えを置くような台もしっかりとあります。
それにしても本当にいわく付きな場所なのでしょうか?
調べてみると、
北区の神山町の「綱敷天神社」に情報がありました。
ここから少し離れた東梅田辺りにある神社です。
【綱敷天神社】
江戸時代、与八とお糸という恋仲の男女がいたが、十三郎という男がお糸に恋心を抱いて二人の仲を恨み、二人を斬りつけた。
与八は即死、お糸は重症を負い、十三郎は捕えられて処刑された。
後にお糸の傷は癒えたが、恋人の与八を失った悲しさから後を追って自害するが、
その際に「悪霊となって呪い続ける」と言い残した。
その際に「悪霊となって呪い続ける」と言い残した。
それから70年後。
お糸の呪いのためか、八重垣姫と吉五郎という男女にも同じ悲劇が起きてしまう。
この時の八重垣姫の霊を祀ったのが「八重垣大明神」である。
情報を要約するとこのような感じです。
なんとも悲しい話です・・・。
しかしこの場合、お糸さんも祀った方がよろしいのではないかと思うのですが・・・どうなんでしょうね。
この扇町公園があった界隈は昔は仕置き場(処刑場)で、明治時代にも堀川監獄分署という刑務所があったそうです。
そういえば公園付近って色々と怖い体験談の噂を聞く場所なんだよな・・・。関係あるのかな・・・。
この辺りは「綱敷天神社」の氏地だそうで、おそらくこの「八重垣大明神」の石碑なども神社が管理していると思います。
「現在は参拝する事はできない」という旨も記載されていました。
由緒を辿ると、なかなかのいわく付きな伝承が残っていた「八重垣大明神」。
訪れる際は自己責任でお願いします。
フェンス内に入り込んじゃダメですよ。
フェンス内に入り込んじゃダメですよ。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
※この記事の写真は2017年10月に撮影したものです。
【八重垣大明神】
コメント
コメント一覧 (3)
刑場跡地は多くの血を吸った土地なので曰く付きなので使い道が困る忌み地なので公共施設になる場合が多い(公園や刑務所・警察署や学校になりやすい)
そういう場所は千日前同様に大きな事件や事故で命を落とす人が出るので現在でも幽霊談が耐えない
仕置き場跡地で刃傷沙汰が起きたのが与八とお糸、八重垣姫で八重垣姫の祟りを恐れて八重垣姫を祟り神として祀ったのが八重垣大明神
大明神と名前が付く神社さんは基本恨みを持って亡くなった人をを神として祀って祟りを回避するためのもの
コメントありがとうございます。
仰られる通り、この場所は色々と曰くがあるみたいですね。
大明神の名前の由来についてのお話は初めて知りました。
祟り神の場合は明神です。神田明神などが有名です。
しったかは止めた方が良いですよ。