ある夜のこと。

スーパー銭湯の情報を仕入れ、さっそく湯に浸かってきた私は爽快な気分で家に帰っていました。

すると・・・。



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暗い夜道の中で
いくつもの灯篭の明かりに照らされた、朱塗りの玉垣と鳥居のある輝かしい一角が姿を見せました。

鳥居の奥には社と御神木らしきものも。



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裏側に回ると
石塔と小さなお地蔵様が何体か並んでいました。



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灯篭をよく見ると、そこには
「鶯塚保存会」という名前が。

どうやらここは「鶯塚(うぐいす づか)」という史跡のようです。


何をするにしても夜の暗さではよく見えないので、ひとまず帰宅。





・・・・・・・・・・





『ただいま、帰り道に御神木のある塚を見つけたよ』

『ほー』


嫁のまーさんにさっそく鶯塚のことを話す。


『明るい時間にもう一度見に行こうと思う。あと銭湯も良かったからその時にもう一回銭湯に行こうかな』

『ほー・・・ウチは家風呂やったわ。子ども小っちゃいから連れて行けへんからな』

『んで? もう一回行くんか。・・・いい身分やな』


やっべぇ・・・置いていったから怒ってる。


『いや銭湯に行きたくて言ってるわけじゃないよ』

『・・・・・・・』

(早口)
『あの塚が気になるから写真撮りに行きたいけど、あそこまでは遠いから行くなら何かモチベーションに繋がるものがあればいいなと思ってみただけで、あくまで塚がメインで別に銭湯なんか・・・本当は銭湯にもう一回行きたいです』

『・・・最後で素直になれてよかったな』

『じゃあいいですか?』

『いいわけあるかっ』




・・・・・・・・・・





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後日。

無念にも銭湯に必要なお風呂セットを持ち出せないまま、私はまたこの「鶯塚」を訪れました。

場所は北区の長柄

大川を渡るための「毛馬橋」が近くにあり、その橋を渡るとそこから先は都島区

大川沿いの天満橋筋の道路と住宅道の間に、中州のようにある歩道にこの鶯塚は鎮座していました。



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鳥居の神額には「稲荷大神」とあり、
奥の社がお稲荷様を祀っている事がわかります。



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こちらが社。
中には陶器製らしきお狐様がおりました。



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御神木の前には
「鶯塚 藤八大明神」
と刻まれた小さな碑とこれまた小さな鳥居が。

この御神木のお名前かもしれません。



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こちらがその御神木

しっかりと注連縄が巻かれていました。

木はまだしっかりと生きているのですが、根元付近に空洞ができてしまったためかセメントのようなもので補修されていました。

一つ前「藤八大明神」碑の写真の奥にあるのが木の根元なので、そちらの方が補修跡がわかりやすいかも。



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御神木を背後から見た様子。

よく見るとベンチが設置されている。
近所の方々の憩いの場所になっているのかな。



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夜に明かりが灯されていた灯篭。

足元の方には手水鉢などもしっかり用意されています。



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鶯塚保存会からのお知らせ。
もちろんお賽銭を入れさせていただきました。

少し分かりにくいですが、
右下にある小さな石碑にも「鶯塚」と刻まれていて線香などの供え物がありました。



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裏側の石塔とお地蔵様。

こちらもぐるりと朱塗りの玉垣に囲われ、しっかりと保護されていました。

丁寧に管理されている事がうかがえます。



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左には梵字が刻まれた石塔
右には多様な姿のお地蔵様

かなり古く、焼け焦げたような跡があります。



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さらに右側にはお百度石もありました。
こちらも古そう。



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すぐ後ろには掲示板があり、そこには鶯塚の由来が書かれていました。

簡潔にまとめようと思いましたが、諸説が3つほど存在するらしくまとめても少し長くなってしまいそうです。

ご容赦ください。



【一つ目の由来】
今から1200年ほど昔、長柄長者の美姫が鶯を飼い大層可愛がっていた。

ところが姫が病気で亡くなり、飼っていた鶯は悲しみの鳴声を上げると姫の後を追うように死んでしまった。

長者はこの話を後世まで伝えようと姫と共に鶯を埋葬し「鶯塚」と名付けた。


【二つ目の由来】
およそ1310年前、この長柄の地は孝徳天皇の皇后の遺跡であり、大化の改新を断行した由緒の地でもある。

「摂津名所図絵」によると[孝徳天皇の御陵は古来より鶯凌を称されているので、この鶯塚も天皇に関係する高貴な方の御陵であろう]とある。


【三つ目の由来】
今から240年前、河内狭山の藩士「笹本源之介」が父の仇である加州の浪人「羽滝伝太郎」を四年間探し求め、長柄長者の配慮によってこの鶯塚のほとりで仇討ちを遂げる。



という諸説が現代に伝わっているようです。


かなり短くまとめると、

1200年前に姫と鶯を埋葬した地。

1310年前の孝徳天皇の皇后の御陵。

240年前に河内狭山の藩士が仇討ちを成し遂げた地。


1000年以上前から伝わってきた場所だったとは・・・私の想像をはるかに越える感慨深い土地だったようです。

掲示板の最後に「昭和31年(1956年)調べ」とあるので
時代背景はさらに70年ほどプラスされているのではないかと思われます。



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掲示板の下にはホームページのアドレスがありました。

帰宅してからアドレスを入力してみましたが、すでに閉鎖してしまったようです。残念・・・。



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掲示板の隣には少し小さな掲示板がもう一つ設置されていました。

この地域周辺の古地図のようです。

下の方は雨水などが浸透してしまったらしく少し霞んでいます。



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鶯塚保存会の方々の手でしっかり管理されている「鶯塚」

長い歴史を今に伝えるために、これからも残り続けていってほしいですね。







ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

※この記事の写真は2017年9月に撮影したものです。


【鶯塚】