昨日に続いて、本日も道頓堀に関するお話です。


道頓堀の由来などについては前回書いた


こちらの記事をご覧ください。






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『ねえ、あそこにも何かの碑があるで』

『お? どこ? あ・・・ホントだ』


一緒に歩いていた嫁のまーさんを発見。


場所は大阪食い倒れの繁華街「道頓堀」

その中でも特に観光地としてよく知られる
グリコ看板でお馴染みの「戎橋(えびすばし)」のすぐ近く。

「TUTAYA戎橋店」と「FOREVER21」の狭い隙間に「竹本座跡」と刻まれた碑がひっそりと佇んでいました。



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よく気付いたものだ。

一方の私はというと、
ちょうど真後ろにある「かに道楽」の店前で焼かれる蟹の匂いに惹かれていて、碑の存在にはまったく気付きませんでした・・・。


炭火焼の蟹、良い匂いしてるんだ・・・。




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碑の上には歴史の紹介とは思えないくらいオシャレな解説版

日本の伝統文化の歴史を伝える解説は厳かな雰囲気なものが多いの中、こういったアプローチの手法はかなり斬新。

一見すると奇をてらっているようにも見えますが、繁華街の中ではこのくらいの派手さがないと、そもそも人から注目してもらえないのかもしれません。

炭火焼の蟹に反応していたヤツが言うのもなんですが、

目に止まりやすいようにかなり工夫が施された解説版だと思います。


まず気付いてもらう。

そして興味を持ってもらう。

間口を広くして、少しでも多くの人に知ってもらおうという意識がうかがえます。



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鮮やかなピンク色を背景にした解説。

こちらの解説と他の史料を合わせて「竹本座」の詳細を少しだけ。



1684年「竹本義太夫」という浄瑠璃語りが、この道頓堀の地で「人形浄瑠璃」の興行を始める。

この劇場小屋は座元である竹本義太夫の名を取って「竹本座」と呼ばれた。
座元とは興行の責任者の事。「座本」とも。

義太夫は浄瑠璃作家の「近松門左衛門」と提携して数多くの演劇を上演。竹本座の興行は成功し、人気を博したと伝えられる。

しかし後年になるにつれて人形浄瑠璃は徐々に衰退。1767年「竹本座」は80余年の歴史に幕を閉じた。



要約すると、
江戸時代、この場所には「竹本義太夫」が興行した「竹本座」という人形浄瑠璃の劇場があったというお話です。



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碑の側面を確認。
昭和50年にこの碑が建てられたようです。



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観光スポットの派手さに魅了されて、ついつい素通りしてしまうかも知れませんが、こういった場所にも目を止めると面白い発見があったりします。






ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

※この記事の写真は2017年9月に撮影したものです。


【竹本座跡】