「食い倒れの町・大阪」と紹介されたら
間違いなく出てくる有名な繁華街「道頓堀」

地元の人はもちろん、大阪府外の人にも圧倒的な知名度を誇る大阪屈指の観光スポットです。


この道頓堀の繁華街から少し外れた場所に、この地の由来を示す大きな石碑があります。



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場所は道頓堀を東に進み、そのまま繁華街を抜けて左に曲がったところ。

ちょうどこの写真の立ち位置から後ろへと振り返った場所。



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横断歩道を渡った先に
いかにも古い大きな石碑が鎮座しています。


『あった、あれだよ。前から気になってたんだ』

『うわデカっ、初めて知った!』


一緒に歩く嫁のまーさんが石碑の大きさに驚く。


駅からは少し離れたこの場所。

普段の往来にこの道を利用している人以外は、なかなか気付きにくいのかもしれない。

石碑の方もよく見れば目立つのに、当たり前のように風景に溶け込んでいるので意外と素通りしがち。

また、ここを通る人の大半は道頓堀の繁華街がお目当てなので、その出入口に気を取られて見過ごしてしまっているように見受けられました。



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近寄ってみると大きさに圧倒されます。
周囲にはチェーンが張られてしっかりと保護されていました。

石碑には「贈従五位 安井道頓 安井道卜 紀功碑」と刻まれています。

「道頓堀」「安井道頓」・・・少し見えてきましたね。



1612年に「安井道頓(やすい どうとん)」という商人がおり、
自身が拝領した城南の開発のために私財を投じて「堀」の開削を開始。

開削作業が続く中、1615年に起きた大阪夏の陣により安井道頓は戦死。

その後は、従兄弟の「安井道卜(やすい どうぼく)」が開削作業を引き継ぎ、同年に堀を完成させた。

開削の始祖・安井道頓の功績を後世に伝えるべく、この地を「道頓堀」と名付ける。



かなり簡単にまとめると、
戦国時代の商人「安井道頓」が作った堀なので「道頓堀」

というのが名前の由来になったようです。



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『本当にデカいなぁ・・・』

『かなり古そうな石やね、なんか大阪城の石垣に似てる』


・・・まーさん鋭い。

後で調べてみたところ
この石は大阪城建築に使う予定だった「残念石」という巨石の一つだったそうです。

「残念石」とは大阪城の石材として持ち込まれたものの、何かしらの理由で使われずにそのまま置かれてしまった石の事です。



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平成26年7月に補修されているらしく、石碑の足元にはその記録が記されていました。



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石碑の裏面。

ビッシリと文字が刻まれていますが、焼け焦げていたり潰れていたりして読めません。



・・・すみません。見栄をはりました。

仮に綺麗な状態だったとしても私程度の知識では読めません。



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ほどよくヒンヤリして気持ちいいのか
ハト達の憩いの場となっていました。

フンはしないでね。



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近くには皇紀二千六百年を記念したという、比較的新しい石碑も建っていました。



・・・ふふっ、分かってるよ。

後ろのアレが気になるんだろ?



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後ろのアレ。
「道頓関」という力士の像。


・・・どなたですか?



調べてみましたが何者かは分かりませんでした。

顔が白いです。

名前の上に「DOTON PLAZA」とあったので、お店のサイトを確認してみましたが情報が一切ありませんでした。

実在の力士かどうかも分かりません。

顔が白いです。




道頓さんの石碑に戻ります。



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近くにある建物と並べると、石碑の大きさがよくわかります。

こうして眺めると改めて威厳を感じられます。



実はこの石碑について、意外なところから史料が出てきました。



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場所は道頓堀の通りから法善寺へと続く小さな路地。

「浮世小路」という名だそうです。

上品な出汁が効いていて美味しいうどん屋「今井」のすぐ隣にあります。


この小路は
大正ロマンや昭和レトロの雰囲気が感じられる造りになっていて、通る人を楽しませてくれます。

詳しい紹介などは後日に改めて
この小路にあった道頓堀の石碑の史料に話を戻します。



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「浮世小路」の中に掲載されていた史料。


間違いなくあの石碑です。

石碑の大きさや裏に刻まれた碑文の説明。さらにこの石碑には過去に取り壊しの話があったという新聞記事の切り抜きもありました。

これによると石碑の大きさは
土台を含めて、高3800mm 横1900mm。

かなりのサイズです。
そして気になる取り壊しについての記事には、



石碑の劣化が激しくなり取り壊しが決定していた。
しかし、開削400周年を前に地元住民が、

「貴重な史料なので残したい」

と補修費用300万円を工面して保存が決まり、取り壊しを覆した



と書かれていました。


かつて「安井道頓」が私財を投じて作った道頓堀

その偉業を称える石碑を守るために、今度は道頓堀の地元の人達が私財を投じて補修費用を工面したという話です。

人情あふれる大阪の人達の気質があの石碑を残したのだと知り、少しその場に立ち尽くしてしまいました。


また、石碑が「残念石」だという記述がここにもあり、船で運ぶ途中に水中へ落としてしまった石材を石碑として採用したとの事です。

焼け焦げた表面は1945年の大阪空襲による跡だそう。



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こちらは石碑の裏に刻まれた碑文を書き移したもの。




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こちらは碑文の内容を分かりやすく説明したもの。

「安井道頓」「安井道卜」の略歴や、道頓堀開削についての説明が刻まれていたようです。

上には列番号を振っていて
碑文を解読しながら、説明を読んでいけるよう配慮されています。

この説明を作られた方の優しさや
分かりやすくする事で興味を持ってもらおうとする気持ちがうかがえます。



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道頓堀の東端で静かに繁華街を見守る「安井道頓」の石碑

いつまでも残っていてほしいですね。





ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

※この記事の写真は2017年9月に撮影したものです。




【贈従五位 安井道頓 安井道卜 紀功碑】