ある日
私がこれまで大阪市内で見かけた碑の場所を思い出そうと記憶を探っていた時のこと。


『そういえば、淀川の堤防で石碑みたいなの見かけたわ』


嫁のまーさんがそんなことを言い出しました。


『ホント? でも淀川って言われても広いな・・・どの辺?』

『堤防の上・・・』

『上・・・? 上のどの辺?』

『・・・・・』


胡散臭いものの、気になったので淀川の堤防まで足を運ぶ。

城北公園よりも梅田方向(西側)というまーさんの脳みそから搾り出された情報を頼りに淀川堤防の上を進む。



20_01


『見つからなかったら何かの刑に処すよ?』

『え? イヤやし。それなら石碑無い。無くていい』

『もう手遅れな。処す』

『そんなん言うなら帰る』


・・・お気付きでしょうか?

すでに写真の中に碑があります。

左下の草がわっさわっさの所にご注目ください。



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『あっ! あれじゃない?』

『あっ!!』



20_03


『分っかりにくっ!』

『ほらあった! あったやん! ウチ間違ってへんやん!!』

『俺が先に見つけた』


手柄は私のモノです。



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草が生い茂っていて、碑に刻まれた文字が読みにくいですが

「赤川廃寺」と刻まれています。

「赤」と「川」の間にそこそこ大きな蛾が止まっており、虫が苦手なまーさんは階段を上がって堤防の上へ逃げ戻っていきました。

これでこの碑は私のモノです。



20_05

碑の横には由来を説明しているらしき立て看板もあったのですが、こちらも草が邪魔をして内容が読めません。



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草「ウェーイ」

もはや完全に嫌がらせの域です。



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稲の出来損ないのような草の自己主張が半端ないですが、それでも何とか手を伸ばして解読してみました。

古くからこの地は重要路で開発されていたが、淀川の洪水による悩みが多かった。

洪水を鎮めるために赤川寺(別名・大金剛院)を建立したが、いつの頃か廃寺となってしまい、伽藍の正確な位置は不明。
※「伽藍」とはお寺の建物全体の事。

赤川寺の僧が1225~1230年に写した大般若経が残されているので、寺があったのは間違いない。

要約するとこのような内容です。

姿も形もありませんが、少なくとも800年前にはこの辺りに赤川寺というお寺があったようです。



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看板左側の絵は、明治初め頃の淀川を改修する前の図で「赤川村」という村があるのを確認できます。

この辺りの地名は大阪市旭区赤川
お寺も村も今はありませんが、「赤川」という名前は地名として現在も残って受け継がれています。

そう思うと感慨深い。



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碑がある場所は堤防に設けられた階段の中腹。

かなり見つけにくい場所です。

まーさんよく見つけて覚えてた。ありがとう。



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お越しの際は「日吉神社」という神社を目印にして、階段を探すと見つかるかと思います。






ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

※この記事の写真は2017年9月に撮影したものです。


【赤川廃寺の碑】