京橋方面から南森町へと向かっていた時。

桜宮橋を渡って大通りを歩いていると、反対側の歩道の脇にある小さな石柱に目が止まりました。



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『あれ・・・なんだろう?』


一緒に歩いているまーさんに尋ねてみる。



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『・・・あっ、ホンマや。何かある』

『ゲームデータを記録できるセーブポイントかな?』


「そんなわけあるか!」というツッコミどころか

視線すらくれずにまーさんは反対側に渡る信号を探していました。



大阪の人としてどうかと思うよ。



今来た道を少し戻って

信号が変わるのを待ち反対側の歩道へとやってきました。

すぐ目の前にはお金製造工場の造幣局があります。



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『あ、やっぱり石碑だった』

『なんて書いてあるんやろ?』



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『大塩の乱・・・槐(えんじゅ)跡・・・?』

『大塩って・・・大塩平八郎? 教科書に出てきた人?』

『っぽいね』

『中学時代の友達のK君が、授業中にぽっちゃり系のF君の醜悪な似顔絵を描いて、しかもそれをF君本人に見られて「誰?」の問いに窮地に迫られて、黒板に書いてあった「大塩平八郎」の名前を見て、「へ・・・ヘイハチロウだよ」その場を乗り切ったという・・・あの大塩平八郎だね』

『知らんわっ! キミの中学時代知らんし!
 大塩平八郎関係あらへんやん!!』

『平八郎は時代を越えてK君を救ったんだよ。関係あるよ』

『無いわ! あと大塩さんに馴れ馴れしくするな!』


・・・関係無いそうです。

その後、ヘイハチロウにハマってしまったF君が真似をして絵を描き始め、己で己の醜悪な似顔絵を描くという地獄絵図へと発展するのですが、それは置いておきます。



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石碑の横を見ると碑の由来が書いてありました。


かの有名な「大塩平八郎の乱」の際に
樹齢200年槐(えんじゅ)が砲弾を受けて
裂けてしまい、枯れてしまった。
新たに若木を植えて歴史の証人とする。


要約するとこういう事らしいです。


「大塩の乱」が天保八年(1837年)と刻まれているので、約200年前、この場所で乱が起きたという事になります。

車がガンガン走ってる平和な今では想像もつきません。

道端を歩いているだけで、教科書に出てきた人物の足跡が出てくるっていうのは本当に面白いですね。

大阪のこういうところ、私は本当に気に入ってます。


『ところで「えんじゅ」ってなに?』

『・・・さあ? 木?』


そりゃ木だろうさ!
この流れで木じゃなかったらビックリするよ!?

後で調べたところ
「えんじゅ」はマメ科の落葉樹だそうで、街路樹などとして植えられてる木だそうです。



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反対側も見てみると。
石碑を設置した日付が刻まれていました。
昭和59年。



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『新たに植えられた若木ってこれかな?』

『え・・・? なんか小さくない?』


周りには街路樹が並んでますが、

どれも同じような木で歴史の証人として特別に植えられた感じではありません。


後から少し調べてみたところ、

どうやら若木はなくなってしまったようです。

これは悲しい・・・。



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ともあれ、この碑があるだけで歴史に触れる事ができました。

石碑の方はいつまでも残っていてほしいですね。







ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

※この記事の写真は2017年9月に撮影したものです。




【大塩の乱 槐(えんじゅ)跡】