この日は大正区にある

JR環状線・大正駅の周辺を散策しました。



0223_01

こちらは前回紹介した

「大正橋公園」
※(たいしょうばし こうえん)


大正駅から北方向にある公園で、

「木津川口 遠見番所跡」という
※(きづかわぐち とおみばんしょ あと)

史跡の案内板が設置されていました。



0223_02

その案内板には

『西方の「岩崎橋公園」付近に、
 幕府の官船等を収容する「御船蔵」があった』

と気になる記述が……。



0223_03

……というわけで、

駅から西の「三軒家西」にある
※(さんげんや にし)

「岩崎橋公園」にやってきました。
※(いわさきばし こうえん)



0223_04

「岩崎橋公園」の様子。

住宅街などでよく見かける普通の公園だ。


「御船蔵」とはやらはどこだろう?

大正橋公園と同じで、案内板しかないパターンかもしれへんね。


一緒に来た嫁のまーさん

史跡に関するものを探してみる。



0223_05

なんかいた。

かわいいなオマエ。


何だろう? トラかな?

ウンピョウの可能性も捨てきれないが

とりあえずネコ科っぽい。


何か知ってそうな顔してるな。

見るからに博識そうやな。
この変なヤツに聞いてみたらええやん。


聞いてみたら

『右側の植え込みにあるよ』

と教えてくれた。


ありがと、ネコ科の変なヤツ。



0223_06

右側の植え込み。

史跡の案内板が刺さっている。


右下のクマ科のヤツも気になるけど

今は案内板に向かおう。



0223_07

こちらが史跡の案内板。

「御船蔵跡」
※(おふなぐら あと)

と書いてある。


他には何も見当たらないので、

「大正橋公園」と同じく

案内板だけがあるパターンらしい。



0223_08

案内板の説明を拡大したもの。

少し長いので、簡単にまとめていきます。

詳しく知りたい方は写真をご覧ください。



「御船蔵跡」
※(おふなぐら あと)

ここ三軒家地域は「勘助島」と呼ばれており、
江戸時代には「御船蔵」と「木津川口遠見番所」があった。

当地の「御船蔵」は幕府の官船等を納める施設だったが、
蔵した官船の名は明らかになっていない。

大正9年(1920年)
岩崎運河が開削され、御船蔵の敷地の一部が取り込まれた




江戸幕府の官船を収納する、

「御船蔵」という船着き場

この辺りにあったんですね。


当地が天下の台所・大坂の出入口として

機能していたことがうかがえます。



0223_09

案内板・右下の絵図。


河川を渡る船は「川御座船」と呼び、
※(かわござぶね)

皇族・将軍・大名といった

貴人が乗船していたそうで、

それは豪奢な屋形船だったとのこと。


この地に収納していた「川御座船」も

写真のような船だったのかな?



0223_10

公園内から北方向を眺めた景色。


残念ながら案内板のみで

御船蔵の遺構などは残っていない。


前述の「木津川口 遠見番所跡の案内板」

『慶長15年(1610年)に軍船係船所や船着場を建設。
 宝永5年(1708年)に「木津川口遠見番所」を設置』

と書かれていたので、

御船蔵は慶長15年頃に建設されたのかな?



0223_11

公園を出て北側にある、JRの高架。


この先には「岩崎運河」があり、
※(いわさき うんが)

そこを「尻無川」が流れている。
※(しりなし がわ)


この尻無川沿いに、船着き場となる

「御船蔵」が存在していたとのこと。



0223_12

江戸時代、幕府の官船を納める

船着き場がこの地にあったことを伝える

「御船蔵跡」の案内板



岩崎橋公園を訪れた際は

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2020年7月に撮影したものです。


↓↓ブログランキングに参加中です↓↓
  よかったら押していってね






【岩崎橋公園の御船蔵跡】



最寄り駅は
JR環状線・大正駅
大阪メトロ・大正駅

駅から西の「岩崎橋公園」に史跡の案内板があるよ!