この日は大正区にある

JR環状線・大正駅の周辺を散策しました。



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駅前の「大正通り」に進んで

浪速区や西区へと繋がる

橋の方へと向かっていると……。



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小さな公園を発見!


この辺りの道路は

橋に向かって上り坂になっているけど、

この公園は平地に作られたようで

階段に囲まれていた。



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公園の名前は

「大正橋公園」
※(たいしょうばし こうえん)


木津川尻無川の分岐点にある公園で、
※(木津川=きづ がわ 尻無川=しりなし がわ)

木津川に架かっている

「大正橋」と接している。


ここだけ、めっちゃゴミ落ちとんなー。

ゴミの収集所なのかな…。


ちょっとお見苦しいので

ゴミの部分はぼかし加工を入れた。



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公園自体は綺麗な大正橋公園


ブランコの近くを眺めていると

史跡の案内板らしき物体を発見した。



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大地にブスッと刺さった案内板。

「木津川口遠見番所跡」
※(きづかわぐち とおみばんしょ あと)

と書かれている。


地面スレッスレやで。

もっと高い所に置けなかったのかな。

かがまないと読めへんな…。


どうやら大阪市が設置したらしい。

もう少し市民の腰をいたわってほしいものだ。



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案内板の説明文を拡大した写真。

詳細は写真をご覧ください。

少し長いので、以下に簡単にまとめます。



「木津川口 遠見番所 跡」
※(きづかわぐち とおみばんしょ あと)

木津川は古くから大坂の経済を支える要所で、
諸国の船の出入りで賑わっていた。

慶長15年(1610年) 
当地は「姫島」と呼ばれていたが、
義民の「中村(木津)勘助」が豊臣家のために軍船係船所や船着場を建設。
その功により「勘助島」と名付けられた。

宝永5年(1708年)
外国船の出入りを監視する施設として、
「木津川口遠見番所」を現在地に設けた。




江戸時代、この場所には

大坂の町を出入りする外国の船を

見張っていた詰め所、

「遠見番所」があったんですね。


当時、この辺りは大坂の沿岸部だったため、

現在の「大阪港」のように

船が盛んに出入りしていたと思われます。



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案内板の右下にあった古い写真。


建物が並んでいる様子がうかがえる。

遠見番所の写真かな…?



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案内板の説明後半には

遠見番所のこととはあまり関係のない、

周辺の史跡について書かれていた。


ここから西の「岩崎橋公園」には

「御船蔵」というものがかつてあり、
※(おふなぐら)


東側の「大正橋」の東詰には

「安政 津波遭難者 供養碑」
※(あんせい つなみ そうなんしゃ くようひ)

というものがあるそうだ。



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案内板の位置から公園内を眺めた写真。


……残念ながら

現在は痕跡すら残っていない。


色々と調べてみたけど、

遠見番所がいつ頃に姿を消したのか

詳細は分からなかった。



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江戸時代、この場所に

外国船を監視する施設があったことを伝える

「木津川口遠見番所跡」の案内板



大正橋公園を訪れた際は

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2020年7月に撮影したものです。


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【木津川口遠見番所跡】



最寄り駅は
JR環状線・大正駅
大阪メトロ・大正駅

駅から北の「大正橋公園」に案内板があるよ!