この日は大阪キタの中心街、
阪急・大阪梅田駅の周辺を散策。
駅のすぐ東側にある
「茶屋町」を歩いていました。
※(ちゃやまち)

こちらの巨大な建物は
「ちゃやまちアプローズ」。
「梅田芸術劇場」がある施設で、
茶屋町を訪れたことがある人なら
一度は目にしているであろう建物です。
旧名称の「コマ劇場」の方が
親しまれてる名前かもしれないですね。

梅田芸術劇場前の植え込み。
ここには近代アートのような
ちょっと変わったモニュメントがあります。
この道を通ったことがあるなら
「ああ、こんなのあったなー」と
ご存知の方もいるかもしれませんが……。

……このモニュメント、
改めて近くで見てみると
何やら文字が彫られていました。
これ、なんか書いてあるで。
えっ…本当だ、何だこれ?
ちなみに気づいたのは
一緒に歩いていた嫁のまーさん。
今まで何度もここを通っていたけど、
ただのアート的な物体だと思って
まったく気にしてなかった……。

三角錐の石造物には
「菜の花や 月は東に 日は西に
蕪村」
と刻まれていた。
『蕪村』というのは
江戸時代中期に活躍した
「与謝蕪村」という俳人のこと。
※(よさ ぶそん)
どうやらこのモニュメントは
俳句を遺した史跡「句碑」のようだ。
まさか石碑だとは思わなかった。
ウチが見つけたんやでー。

裏面も確認してみる。
こちら側には何も書かれてなかった。
……というか草が茂りすぎてて
なんだかよく分からない。
ウェ~イッ!
これ石碑って気づいたん、ウチやでー。
ウェイウェイ!
オッシェーイッ!
うっっるせー。
コイツら、うるせぇー。

情報らしきものが周囲にないので、
まずはこちらの俳句を残した
与謝蕪村という人物について……。
「与謝 蕪村」※(よさ ぶそん)与謝蕪村は江戸中期に活躍した俳人。享保元年(1716年)摂津国東成郡毛馬村に生まれる。※(現在の大阪市都島区)十代後半で江戸に赴き、俳人の「早野巴人」の下で俳諧を学んだ。※(早野巴人=はやの はじん)天明3年(1784年)京都にて病没。
教科書にも登場する有名人なので
ご存知の方も多い与謝蕪村さんですが、
その出身は大阪市都島区の毛馬町。
※(毛馬町=けま ちょう)
この茶屋町から東にず~っと進んで
大川を越えた先に
出身地の「毛馬町」があります。

句碑に刻まれている、
『菜の花や 月は東に 日は西に』。
この句は
『夕刻の、菜の花畑の美しい情景に
思いを馳せて詠んだ俳句』
とのことで、安永年間(1772~1781年)に
蕪村が京都で詠んだ句です。
句碑が建つ、ここ茶屋町は
江戸時代は菜の花が一面に咲き誇る
大坂の観光名所だったようで、
その美しい景観にあやかったことと
与謝蕪村が大阪出身ということを重ねて、
ここに句碑を設置したと思われます。
また、この『菜の花や~』の元になった地ですが
『与謝蕪村が兵庫県の六甲山麓にある
「摩耶山」を訪れた際の俳句である』
※(摩耶山=まやさん)
という説があるので、
茶屋町の菜の花畑の情景を
与謝蕪村が詠んだかは定かではありません。
ゴチャゴチャと長い説明が続いて
ごめんなさい……。

とりあえず簡単にまとめると、
与謝蕪村さんは大阪出身!
茶屋町は昔、菜の花畑だった!
はい、句碑ドーン!
って話です。
あの丸い輪っかは何やろな?
人間のエネルギーを吸い取る装置だよ。
怖っ!
吸い取ってどうすんねん!?
菜の花に変える。
意外と優しい機能や!
なお、このやたらと反射する丸い輪っかを
まーさんが眺めていたせいで、
思いっきりヤツの姿が写り込んでいたため
ほとんどの写真が使い物にならなくなった。

梅田芸術劇場の前にある
モニュメント「与謝蕪村の句碑」。
茶屋町を訪れた際は
ぜひ眺めていってみてください。
※この記事の写真は2020年6月に撮影したものです。
【与謝蕪村 句碑(モニュメント)】
最寄り駅は
JR・大阪駅
阪急・大阪梅田駅
阪神・大阪梅田駅
大阪メトロ・梅田駅
MAPの「梅田芸術劇場」の前にモニュメントがあるメント!
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