本日の記事は、前回と同じ場所。
大阪市は西区 京町堀にある
「京町堀公園」からです。
※(きょうまちぼり こうえん)

こちらは前回紹介した、
京町堀公園に設置されていた
「京町堀川跡の碑」。
『江戸時代、町民が掘った川が
ここを流れてたんだよ~』
という証を残した石碑です。

こちらも前回の記事に出てきた
「街区表示板」の写真。
街中でよく見かける
住所が書いてあるアレです。
……この街区表示板が掲示されている
物体にご注目ください。

……キミ、ただの柱じゃないよね?
なんか書いてあるもの。
これ…過去の遺物っぽいなー。
二本並んでるねぇ。
ゴミ置き場に利用されとるな。
石碑だとしたら悲しいねぇ…。
嫁のまーさんと一緒に
この「謎の石柱」を観察してみる。

西側の面には
「京通一町會」
と刻まれており、
上下には丸い穴が貫通していた。
『旧町名かな?』と思ったけど、
この辺りは江戸時代からずっと
「京町堀」の町名だったそうなので
町内会か何かの名称だと思われる。

北側の面。
向かって右側の石柱から
「紀元二千六百年」
「奉祝記念」
と刻まれている。
あっ!?
これって、昭和の頃に国旗を掲げてたヤツかも!
あー!
なんかそんなんやった気がする!

……これは以前、
都島区で発見した「謎の石柱」。
コメントで教えていただいて、
「国旗掲揚台」
※(こっき けいようだい)
というものであることが分かりました。

今回、発見した石柱も
「紀元二千六百年」の文字と
丸い穴が開いているので、
おそらく「国旗掲揚台」だと思われる。
国旗掲揚台とは、その名前の通り
日本国旗などを掲げるための土台で、
日本各地にあるのだそうだ。

東側の面。
「昭和15年2月11日 建立」
と刻まれている。
北側の面にあった「紀元2600年」は
昭和15年(1940年)なので
そのまま年代も一致する。
この年は「紀元二千六百年記念」として
日本各地で様々な記念行事が
華々しく開催されていたとのこと。
……そういった式典や行事に合わせて
ここに国旗が掲げられてたのかな?
石柱の足元をよく見ると、
土台が赤レンガではない別の素材だった。
おそらく昭和当時からのものだろう。
国旗の台としての役目は終わったのかな?
みたいやなー。
でもまぁ、住所を表示して今も役に立ってるね。
ゴミ置き場の目印にもなっとるしな。
それは言わないであげて…。

というわけで
京町堀公園にあった謎の石柱は
「国旗掲揚台」でした(多分)。
近くを通り掛かったら
ぜひ眺めていってみてください。
※この記事の写真は2020年6月に撮影したものです。
※話に出てきた「都島区の国旗掲揚台」はこちらからどうぞ。
【京町堀公園の「国旗掲揚台」】
最寄り駅は
大阪メトロ・肥後橋駅
駅から東の阪神高速沿いを南にず~~っと進むと、公園に着くよ!
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