この日は吹田市にある
※(すいた し)
大阪メトロ・江坂駅の周辺を散策しました。
※(えさか えき)
ここは江坂駅から一本西側の通り、
「江坂ウエストサイドストリート」。
飲食店や商業施設が充実した繁華街で
大勢の人で賑わっています。
そんな江坂ウエストサイドストリートを
ニョロニョロと歩いていると、
石碑が建っているのを発見。
場所は「ダイエー 江坂駅前店」の
ほぼ向かい側。
さっそく石碑を確認。
石柱の間に三角柱が挟まっていて、
そこに碑文が書かれてるタイプだ。
いきなり写真撮り始めたから、皆見てるで。
人通り多いからちょっと恥ずかしいな…。
ウチ、ちょっと離れとこかなー。
おい、離れるな!
オレの側を離れるんじゃねェ!
他人のフリを決め込もうとする
嫁のまーさんを引き留めたら
なんかプロポーズしてるヤツになった。
碑には
「榎坂郷」
※(えさかごう)
と書いてある。
「郷」というのは昔の里や集落のことで、
現在で言う「市区町村」のようなもの。
大昔から人が住む地域だったようだ。
気になるのは「榎坂」の字……。
もしかして江坂駅の「江坂」って
元々は「榎坂」だったのかな?
三角柱の碑文、その1。
詳細は写真をご覧ください。
長いので少しまとめます。
「榎坂郷」※(えさかごう)当地は京都に近く、水運にも恵まれており、古来は摂関家の荘園だった。寿永2年(1183年)奈良・春日社の領地となり、垂水西牧の「榎坂郷」と呼ばれた。
小難しい単語がいっぱい出てきた……。
1つずつ噛み砕いていくと、
「摂関家」というのは
※(せっかんけ)
平安~鎌倉時代に
最高権力を握っていた公家のこと。
「荘園」というのは
※(しょうえん)
権力者や寺社が領地としていた
田園地帯などのこと。
簡単にまとめると……。
平安時代、この江坂の辺りは
田園や牧場が広がっていて、
当時の最高権力者が所有していた場所。
鎌倉時代頃に入ってから
奈良県・春日大社の領地になった。
……ということですね。
三角柱の碑文、その2。
こちらは近年の歴史のようだ。
以下、簡単にまとめます。
「江坂町」※(えさかちょう)昭和30年代(1955~1965年)江坂町一帯は「千里ニュータウン」の開発で、田園地帯から近代都市に変貌した。昭和45年(1970年)この年の「万国博覧会」を契機に、新御堂筋や江坂駅を開設。北大阪の副都心として発展した。
大昔からず~っと田園地帯だった江坂。
近年の都市開発によって
現在のような繁華街になったんですね。
三角柱の裏側。
こちらは何も書かれておらず。
土台の右側面。
昭和63年(1988年)8月に建立された模様。
「ESAKA GO-」の文字。
えさかゴー。
えさかゴー。
・・・・・・。
どこ行くねん!
大阪の血統がそうさせるのか、
とりあえずツッコミを入れるまーさん。
……スゴイ顔するなオマエ。
……スゴイ顔するなオマエ。
石碑が建っている場所は
高層ビルや商業施設に囲まれている。
ここが昭和まで田園風景だったとは
現代では想像もつかない。
大昔、江坂駅の一帯が
田園地帯だったことを伝える
「榎坂郷」の碑。
駅前の繁華街を訪れた際は
ぜひ眺めていってみてください。
※この記事の写真は2020年1月に撮影したものです。
【「榎坂郷」の碑】
最寄り駅は
北大阪急行・江坂駅
大阪メトロ・江坂駅
駅から西へ一本入ったショッピングストリートにあるよ!
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