この日は吹田市にある
※(すいた し)

大阪メトロ・江坂駅の周辺を散策しました。
※(えさか えき)



0616_01

ここは江坂駅から一本西側の通り

「江坂ウエストサイドストリート」


飲食店や商業施設が充実した繁華街で

大勢の人で賑わっています。



0616_02

そんな江坂ウエストサイドストリート

ニョロニョロと歩いていると、

石碑が建っているのを発見。



0616_03

場所は「ダイエー 江坂駅前店」

ほぼ向かい側。




0616_04

さっそく石碑を確認。

石柱の間に三角柱が挟まっていて、

そこに碑文が書かれてるタイプだ。


いきなり写真撮り始めたから、皆見てるで。

人通り多いからちょっと恥ずかしいな…。

ウチ、ちょっと離れとこかなー。

おい、離れるな!
オレの側を離れるんじゃねェ!


他人のフリを決め込もうとする

嫁のまーさんを引き留めたら

なんかプロポーズしてるヤツになった。



0616_05

碑には

「榎坂郷」
※(えさかごう)

と書いてある。



「郷」というのは昔の里や集落のことで、

現在で言う「市区町村」のようなもの。

大昔から人が住む地域だったようだ。



気になるのは「榎坂」の字……。

もしかして江坂駅の「江坂」って

元々は「榎坂」だったのかな?



0616_06

三角柱の碑文、その1。


詳細は写真をご覧ください。

長いので少しまとめます。



「榎坂郷」
※(えさかごう)

当地は京都に近く、水運にも恵まれており、
古来は摂関家の荘園だった。

寿永2年(1183年)
奈良・春日社の領地となり、
垂水西牧の「榎坂郷」と呼ばれた。




小難しい単語がいっぱい出てきた……。


1つずつ噛み砕いていくと、


「摂関家」というのは
※(せっかんけ)

平安~鎌倉時代に

最高権力を握っていた公家のこと。


「荘園」というのは
※(しょうえん)

権力者や寺社が領地としていた

田園地帯などのこと。



簡単にまとめると……。


平安時代、この江坂の辺りは

田園や牧場が広がっていて、

当時の最高権力者が所有していた場所。


鎌倉時代頃に入ってから

奈良県・春日大社の領地になった。


……ということですね。



0616_07

三角柱の碑文、その2。

こちらは近年の歴史のようだ。

以下、簡単にまとめます。



「江坂町」
※(えさかちょう)

昭和30年代(1955~1965年)
江坂町一帯は「千里ニュータウン」の開発で、
田園地帯から近代都市に変貌した。

昭和45年(1970年)
この年の「万国博覧会」を契機に、
新御堂筋や江坂駅を開設。
北大阪の副都心として発展した。




大昔からず~っと田園地帯だった江坂

近年の都市開発によって

現在のような繁華街になったんですね。



0616_08

三角柱の裏側。

こちらは何も書かれておらず。




0616_09

土台の右側面。

昭和63年(1988年)8月に建立された模様。




0616_10

「ESAKA GO-」の文字。


えさかゴー。

えさかゴー。

・・・・・・。


どこ行くねん!


大阪の血統がそうさせるのか、

とりあえずツッコミを入れるまーさん


……スゴイ顔するなオマエ。



0616_11

石碑が建っている場所は

高層ビルや商業施設に囲まれている。


ここが昭和まで田園風景だったとは

現代では想像もつかない。



0616_04

大昔、江坂駅の一帯が

田園地帯だったことを伝える

「榎坂郷」の碑



駅前の繁華街を訪れた際は

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2020年1月に撮影したものです。


↓↓ブログランキングに参加中です↓↓
  よかったら押していってね






【「榎坂郷」の碑】



最寄り駅は
北大阪急行・江坂駅
大阪メトロ・江坂駅

駅から西へ一本入ったショッピングストリートにあるよ!