この日は天王寺区にある
※(てんのうじ く)

近鉄・大阪上本町駅の周辺を散策しました。
※(おおさか うえほんまち えき)



0521_01

駅からやや北東の位置にある

「東高津公園」
※(ひがしこうづ こうえん)


その公園の北西角にある

交差点を通っていると、

何やら不思議な一角を発見。


……何だろう、あの空間。



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信号を渡って謎の一角へ行ってみると、

トタン屋根に守られている

お地蔵さん石碑が並んでいた。



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穏やかな表情のお地蔵様。


立派なお地蔵様だねぇ。

目の前がスクランブル交差点やから、安全祈願やろか?

そうかもね。

室外機の生温い風めっちゃ浴びとんで。
お地蔵様、暑いやろなぁ…。


妙なことを気にする嫁のまーさん

他の設置物も確認してみる。



0521_04

お地蔵さんの横にあった石碑。

「司天生 福田先生之碑」
※(してんせい ふくだせんせい の ひ)

と上部に刻まれている。

かなり古そうな感じだ。



その更に横にある石碑には

「開運地蔵尊」

と刻まれていた。


……これはお地蔵様の名前かな?


石碑と石碑の間にも小さな石碑があるで。

あら本当だ。
なんか沢山あるなここ。


さらにさらに、

足元にももう一つ石碑があった。


……金属製なのでメタル碑?

メタル碑でいいのかなコレ?



0521_05

一番大きな石碑。


難しい碑文が並んでいて

まーさんも判読できず……。



調べてみたところ、

こちらは「福田 金塘」という人物の
※(ふくだ きんとう)

「顕彰碑」であることが分かりました。


……というわけで人物歴を

以下に簡単にまとめていきます。



「福田 金塘」
※(ふくだ きんとう)

福田金塘幕末~明治時代の数学者
日本独自の数学「和算」を研究していた。

文化3年(1806年)
大坂に生まれる。

天保5年(1834年)
弟の福田理軒らと共に大坂南本町に「順天堂塾」を設立。
後の「順天学園」の礎となる。

天保14年(1843年)
幕府の司天台師範代となる。

安政5年(1858年)に没。
大阪上本町の「傳光寺」に葬られる。




自分でまとめておきながら

何だか書いてあることが難しい……。


歴史に詳しい識者が見れば

「偉人」だと理解できそうですが、

私のような浅学な人間には

ちょっと分かりにくい人物ですね……。



0521_06

そんな私でも何とか理解しようと思い

色々と資料を調べてみました。


福田先生の功績を

ふにゃっと柔らかめに解説していきます。



福田金塘先生は江戸後期の

つまりカレンダーを作っていた人です。


当時の暦というのは

現在のように日が定まっておらず、

天文学を元に天体を研究・測量して

作成されていました。


福田先生は「和算」という数学と

天文学の知識で日本の日付を作成する

重要な人物だったそうで、


幕府の天文研究機関「司天台」
※(してんだい)

師範代を務めていました。



……この石碑に刻まれている

「司天生」とはその偉大さを一言で指す

当時の言葉なのだと思われます。



話が長くてごめんね……。



0521_07

足元の小さな金属碑。


「司天生 福田先生の碑について」


というタイトルだけど、

説明が途中から金塘先生の弟

福田 理軒さんの話になっている……。
※(ふくだ りけん)


……というのも、

こちらは弟・理軒さんの功績によって

現在、東京にある「順天学園」

創立180周年を記念して設置したもの。


『「司天生 福田先生之碑」のレプリカを
 学園内に設置したよ~』

という内容でした。



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「司天生 福田先生之碑」の左側面。


難しくて判読できず……。




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「司天生 福田先生之碑」の右側面。


こちらも難しいけど

「安政5年」と書いてあるのが分かる。


安政5年っていつ?

西暦は知らんけど、江戸時代ちゃう?

えっ…これ江戸時代の石碑なの!?

そうかもしれへんね。
外にあるのに文字とか残ってるもんなんやなぁ。


後で調べてみたところ、

刻まれている「安政5年~~~」

金塘先生の没年だそうです。


この石碑は4年後の文久元年(1861年)

建立されたものだそうで、

やはり江戸時代の石碑とのこと。



歴史のある顕彰碑が

交差点の角に置いてある街……。

それが大阪。



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なぜそんな昔の石碑がこんな唐突な場所に…?


……という答えが、

「開運地蔵尊」と書かれた石碑

正面側に書いてありました。



「傳光寺 跡」
※(でんこうじ あと)

昭和20年(1945年)3月13日
戦災によって「傳光寺」が全焼。

昭和27年(1952年)7月10日
傳光寺・起善寺・本覚寺の三寺を合併。
「顕祥寺」を創立する。




この場所には金塘先生が葬られたという

「傳光寺」があり、

そこに「司天生 福田先生之碑」

設置されていました。


お寺跡という事情から

石碑が残されたのだと思われます。



ちなみに傳光寺の後身となった

「顕祥寺」は、
※(けんしょうじ)

ここからやや北西にあります。



0521_11

また、こちらの一角には

古いお墓が2基並んでいます。


「福田先生之碑」とは関係がないため、

こちらはまた後日紹介いたします。



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江戸後期の数学者、福田金塘先生を讃える

「司天生 福田先生之碑」。



近くを通り掛かったら

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2019年9月に撮影したものです。


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【司天生 福田先生乃碑】



最寄り駅は
近鉄・大阪上本町駅

「東高津公園」北西角の交差点向かい側にあるよ!