※今日はちょっと疲れてるので色々と適当になってしまいそうです。
 そんな感じで見てください。



この日は天王寺区の上の方にある

近鉄・大阪上本町駅の周辺を散策。
※(おおさか うえほんまち えき)


それでなんかアレ、あっちの方。

駅から北方向の道を歩いていました。



0305_01

どっかの公園沿いを歩いていると

でっかい岩を発見。


『石碑っぽい気がする』と思ったので

さっそく確認してみることに。



……ネタバレしちゃうけど

コレ、石碑なんですよ。

タイトルにも書いてあるしね。



0305_02

石碑があったのは

中央区上本町西にある

「東平北公園」



……なんて読むんだろう?

今は調べる気力が無いので

未来の私が後で追記することを祈ろう。



0305_03

正面に回り込んでみる。

とっくに皆さんご存知だが、やはり石碑だった。


キレイな四角型だなぁ。

溝のせいで、豆腐が入ってるパックに見える…。


巨石を豆腐パック呼ばわりする

嫁のまーさんと一緒に

さっそく内容を確認してみることに。



0305_04

なんか書いてある石碑。

手前にある石台は案内板のようだ。


あと写真の右端に人が写り込んでいた。

いつもはぼかし加工をしてるけど

疲れてるからブラックホールにしちゃえ。



0305_05

案内板を確認。

石碑は文学碑のようで、

文学者の説明が書かれている。


疲れて文章力が低下してるタイミングで

文学碑の登場とは……。


失礼があってはいけないので

ここだけは丁寧に書いていきます。



「薄田泣菫 文学碑」
※(すすきだ きゅうきん ぶんがくひ)

「薄田泣菫」は明治~昭和初期に活躍した詩人
明治10年(1877年)に岡山県に生まれる。

若くして大阪へ出ると文芸雑誌で詩を発表。
象徴派詩人として認められ名声を得た。

大正始めに大阪毎日新聞社へ入社。
これを機に詩作を離れ、随筆家として活動する。

昭和20年(1945年)、難病を患い、没する。




「薄田 泣菫」氏

明治時代に活躍した詩人で、

この上町にある「本長寺」というお寺に

寄宿していたとのこと。
※(寄宿=住ませてもらうこと)



詩を作っていた時代に

この辺りに住んでいたため、

文学碑が残されているんですね。



0305_06

石碑に刻まれているのは

薄田泣菫氏「金剛山の歌」


金剛山の雄大さや

自然の豊かさを詠んでいます。



今はマンションに囲まれていますが、

当時はこの辺りから

美しい金剛山が見えていたようです。

詩の詳細は写真をご覧ください。



0305_07

せっかくなので

石碑の裏や側面も確に……

……なんか自転車がポイーされてる。


……自転車…。

……自転車やな…。


ふきだしの指示を入力するのが面倒くさい。

実はこれ毎回手作業でやってるんよ。



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石碑の側面。

溝が沢山刻まれている。




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石碑の裏面。

大阪市が平成元年3月に建立した模様。




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…乗ってみる?

アカンやろ。
どっかの子どものヤツやで。

あー。そうか。

・・・・・・。

……乗ってみる?

なんでやんねん!
乗らへんわ!


ふきだし疲れるわー。

もう全部でいいや。

未来の私がそのうち直すだろう。


……大体なんなんだ?

首から上しかないくせに

毎回コロコロ表情変わりやがって!



0305_11

なんちゃら公園の様子。

遊具と草と木がある、のどかな公園だ。


木陰ではママさん達が敷物を敷いて

子どもと楽しそうに遊んでいた。

ブラックホールにしちゃってごめん。



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大阪滞在時に数々の詩を詠んだ

「薄田 泣菫」の文学碑


近くを通り掛かったら

ぜひ眺めていってみてください。


※この記事の写真は2019年9月に撮影したものです。


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【薄田泣菫の文学碑】



最寄り駅は
近鉄・上本町駅
大阪メトロ・谷町九丁目駅

「東平北公園」の南西角に文学碑があるよ!