本日は昨日と同じ場所、

東大阪市近鉄・枚岡駅から北にある
※(ひらおか えき)

「豊浦町」を散策した時のお話です。
※(とようら ちょう)



0221_01

豊浦町のほぼ中央を走る

「国道308号」の道を通っていると、

小さな公園がありました。


後で調べてみたところ

「枚岡中央公園」という名称だと判明。
※(ひらおか ちゅうおう こうえん)



0221_02

公園の西側へ行くと

大きくて立派な石碑を発見。


ここまで巨大だと

石碑と言うより、もはや岩だ。



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碑には

「大坂夏の陣
 徳川家康本陣跡之碑」

と刻まれていた。



昨日の記事「権現塚」でも紹介しましたが

ここ豊浦町(旧・豊浦村)は、

豊臣徳川が合戦した大坂夏の陣の際に

「徳川 家康」が本陣を置いた場所


その本陣の跡地がこの公園なんですね。



0221_04

碑文を拡大したもの。


詳細は写真をご覧ください。

少し長いので、まとめた内容を

以下に書き記していきます。



「大坂夏の陣 徳川家康 本陣跡之碑」
※(おおさかなつのじん とくがわいえやす ほんじんあとのひ)

慶長19年(1614年)、大坂冬の陣。
「徳川 家康」の三男・秀忠が大坂へと出陣。
当地、豊浦村の「中村 四郎右衛門 正教」邸宅に宿陣した。

翌年の慶長20年(1615年)、大坂夏の陣。
昨年の冬の陣にならって、
家康が中村氏の邸宅に宿陣した。

※(宿陣=軍の宿営地のこと)



戦国時代当時にあった

「中村  四郎右衛門 正教」さんの邸宅を借りて、
(なかむら しろうえもん まさのり)

家康公が軍の宿営地としたため、

「中村氏邸宅の跡地」=「家康本陣跡」

となったとのこと。



0221_05

巨大な石碑の裏側。


正面にプレート以外には

何も書かれていなかった。



0221_06

巨大石碑の隣にあった小さな石碑

「史跡 徳川家康陣屋
 中村四郎右衛門 宅址」

と刻まれている。


中村氏は陣を敷いた家康公のために

菖蒲の木綿を献上。
※(菖蒲=しょうぶ)

家康公はこれを「勝布」として喜び、

戦後、中村氏に拝領品を賜ったそうです。


菖蒲と勝布…ダジャレだ…。


豊浦村は江戸時代に入ってから

幕府の直轄領となり、

中村氏の家は庄屋として発展しました。



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小さな碑の側面や裏面。

何も刻まれていなかった。




0221_08

様々な遊具が設置されている

枚岡中央公園の様子。


当時あった中村氏のお屋敷は

この公園と周囲一帯までに広がり、

「中村代官屋敷」と呼ばれていたそうです。


家康公に助力したことで

地元の名主になったんですね。



0221_09

枚岡中央公園

中村氏の屋敷跡であったことを示す

「徳川家康 本陣跡」の碑


近くにお立ち寄りの際は

ぜひ訪れてみてください。



※この記事の写真は2019年6月に撮影したものです。



話に出てきた「権現塚」はコチラから。




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【徳川家康 本陣跡の碑】



最寄り駅は
近鉄奈良線・枚岡駅
近鉄奈良線・額田駅

「国道308号」沿いに公園があるよ!