この日は大阪市を走る中央路線の一つ、

JR環状線の玉造駅の周辺を散策しました。
※(たまつくり えき)


古代に勾玉を造っていた場所なので

「玉造」という地名になったという、

何とも歴史のある土地です。



1204_01

何とも歴史のある土地なので

石碑が草の中に埋もれてるわけです。



アレは「旧町名継承碑」ですね。

コンニチハ。



1204_02

場所はJR環状線・玉造駅の北側


「長堀通」を越えた先の

「大阪 玉造郵便局」の正面に

この継承碑があります。



1204_03

こちらが「旧町名継承碑」


昭和時代の区画整理で消滅してしまった

昔の町名を現代に伝えるために

大阪市が設置した石碑です。



草に埋もれてる感じが、

発見された直後の

天空の城ラピュタみたいですね。


この状態の旧町名継承碑のことを

ピュタ状継承碑と呼びます。

私が勝手に名付けました。


ピュタ状継承碑!

え…なに?
急に何言うてはるの?


の頭の中だけで決定した呼び名を

声に出してみたら

嫁のまーさんが混乱しました。


テレパシーくらいは

身につけておいてほしいものです。



1204_04

継承碑によると、この辺りは昔

「黒門町」

という町名だったとのこと。


読み方は

「くろもん ちょう」



詳細については写真をご覧ください。

「黒門町」に関する文だけを

以下に書き記していきます。



「黒門町」
※(くろもん ちょう)

昭和10年2月
大阪市東区の中道黒門町だった当地が、
「黒門町」となった。

昭和54年2月
住居表示の実施にともない「黒門町」は、
玉造一丁目の一部となった。

町名の由来は
黒塗りの大坂城玉造門が存在した
地域であったという伝承から。




「豊臣 秀吉」が築城した大坂城
※(とよとみ ひでよし)

玉造門という黒塗りの門があった。


……という由来から

「黒門町」の町名になったとのこと。



この黒い玉造門大坂夏の陣の後、

天王寺区の「一心寺」に移築されましたが
※(いっしんじ)

昭和の戦災によって消失したそうです。


ということで、現在の大阪城には

「玉造門」はもう存在しません。



1204_05

ちなみに今回のタイトル。

『黒門町(中央区)』となってますが、

これは『黒門町(東成区)』バージョン

発見しているためです。
※(写真の継承碑が東成区バージョンです)



こちらについてはまた日を改めて……。



1204_03

豊臣大坂城時代の玉造門が由来となる

「黒門町」の旧町名継承碑



近くを通り掛かったら

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2019年5月に撮影したものです。


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【旧町名継承碑「黒門町(中央区)」】



最寄り駅は
JR環状線・玉造駅
大阪メトロ・玉造駅

MAPの「大阪玉造郵便局」の目の前にあるよ!