この日は福島区にある

JR環状線・福島駅の周辺を散策しました。


大阪キタの中心地である「梅田」

一つ隣にある駅です。



1120_01

駅前の大通り「なにわ筋」

ひたすらず~~っとへ進んでいき、

「大淀中学校」手前の歩道橋に到着。
※(おおよど ちゅうがっこう)



いつの間にやら

福島区から北区に移動していた。



1120_02

交差点で信号待ちをしていると、

一緒に来ていた嫁のまーさん

正面にあるビルを指す。


アレって石碑ちゃう?

んん?
看板の横に見えるやつのこと?

そうそれ。
石碑に見える。

ビルの名前が書いてあるんじゃないの?



1120_03

アップで撮影してみる。


ビルの門札にしか思えなかったけど

確かに石碑のような気がする。


まーさんの分際でよく見つけたもんだ。



1120_04

信号を渡って確認してみると、

間違いなく石碑だった。


ほら石碑やー。

ウチの冴えわたる感が〇△×□〇×□~~。

あー、はいはい。


ドヤ顔をしてきたので適当に流した。



1120_05

碑には

「笠原小兒保健研究所跡
 1928~1945」

と刻まれている。


「小」と「保」の字の間にあるアレってなんて読むの?

なんやろな…?
「ゲ」とか「ホウ」とか?



「兒」

……なんだこれ。

見慣れないヤツだが新入りか?


難しくて読めないけど、

保健研究所という施設の跡地のようだ。



1120_06

碑の裏側を確認。

思ったよりも狭くて撮影しにくい……。

あと、オマエ邪魔なんだけど。


ウェ~イッ!



1120_07

草野郎を退かして撮影。

何とか碑文を読めそうだ。


詳細は写真をご覧ください。

以下に簡単にまとめていきます。



「笠原小兒保健研究所跡」
※(かさはら しょうに ほけん けんきゅうじょ あと)

昭和3年(1928年)
「笠原小兒保健研究所」を設立。
所長は大阪大学医学部の笠原道夫氏。

研究所が戦災によって焼失するまで、
小児医学の進歩に貢献した。



謎の漢字だった「小兒」

「小児」の古い漢字だったようです。


色々と調べてみましたが

「笠原小兒研究所」の詳細や

戦災後の研究所の後継などについては、

残念ながら分かりませんでした。



福島駅周辺が空襲を受けたのは

「第2回大阪大空襲」と呼ばれる

昭和20年(1945年)の6月1日


表側の「1928~1945」とも符合するため

おそらくこの時に

焼失してしまったと考えられます。



1120_08

笠原小兒研究所の跡地に建つ

「小川ビル」の全景。



ちなみに

「小児保健研究所」という機関は
※(または小児保健協会)

現在も日本各地に存在しており、


子どもの医療や教育に関する

様々な研究を行っているとのこと。



当地には石碑があるだけ

研究所の痕跡は残っていません。



1120_05

昭和初期に、子どものための医学を

研究する機関が存在していたことを示す

「笠原小兒保健研究所跡」の碑



近くを通り掛かったら

ぜひ眺めていってみてください。




※この記事の写真は2019年5月に撮影したものです。


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【「笠原小兒保健研究所跡」の碑】



最寄り駅は
JR環状線・福島駅

「梅田スカイビル」の西側にあるよ!