この日は大阪城の南東にある、

大阪メトロ・森ノ宮駅の周辺を散策。


駅前を南北に走る「玉造筋」
※(たまつくり すじ)

に向かって歩いていると……。



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歩道脇の植え込みの中に

細長い石碑を発見。

「旧町名継承碑」だ。



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場所は玉造筋沿いにある

「ロイヤルホームセンター」という

大型ホームセンターの目の前。


おっ?
こんな所に継承碑あったんだ。

ホンマやね。
初めて気づいたわ。

今までスルーしてたのか…。


嫁のまーさん

この道は何度も通ってるはずなのに

継承碑の存在に気づいてなかった……。


おそらくホームセンターが魅せる

謎のワクワク感のせいで

周りをよく見ていなかったのだろう。



1114_03

というわけでこちらが

「旧町名継承碑」


昭和時代の区画整理で消滅した

昔の町名を現代に伝えるために

大阪市が設置した石碑です。



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この中央の青いプレート

旧町名の経緯が書かれています。


今回の旧町名は「玉堀町」


…んん?
「玉堀町」って前に見たことあるな…。

そうなん?
ウチはちょっと覚えてへんわー。

でもここで継承碑を見たのは初めてだ。

前に見たのが移設されてきた…とか?


確認してみると、間違いなく

同じ旧町名の継承碑を発見しており、

過去に記事で紹介していました。


発見場所はここのすぐ近くで、

ホームセンター北側の路地を東に進み、

大阪環状線の高架を抜けた先。



つまり「玉堀町」の旧町名継承碑

2つ存在するということになります。



1114_05

なぜ2つあるかは置いといて、

旧町名「玉堀町」の経緯を調べてみる。


読み方は

「たまほり ちょう」……かな?


詳細は写真をご覧ください。

「玉堀町」に関する部分のみ

以下にまとめていきます。



「玉堀町」
※(たまほり ちょう)

明治33年4月
東区の字大和橋の全域と清堀の一部をもって、
当町は「玉堀町」となった。

昭和54年2月
住居表示の実施にともない「玉堀町」は、
玉造一丁目・森ノ宮中央一丁目の各一部となった。

町名の由来は
「玉造」の「玉」と、
天保9年開削の猫間川入江の「掘割」
町域であることを合成して付けたもの。




昭和に埋め立てられたという

「猫間川」と、造」の地名から
※(ねこまがわ)

「玉堀町」になったようですね。



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前回今回

「玉堀町の旧町名継承碑」を比較。


前回のは東成区役所が設置したもので

今回のは中央区役所が設置したもの。

内容も微妙に異なります。



おそらく、昭和時代の区画変更で

「玉堀町」が中央区と東成区に分断……。


後年になってから

両区がそれぞれ同じ町名の継承碑を

設置したのだと思われます。



簡単に説明すると、

『「玉堀町の継承碑」は
 中央区版と東成区版がある』

ということですね。



……説明が長くなってごめんね。



1114_07

継承碑から玉造筋を北に向いた風景。


この交差点を右(東)に曲がり、

大阪環状線の高架を抜けていくと

東成区版の継承碑が設置されている。



1114_03

2つの区に存在する

「玉堀町」旧町名継承碑



すぐ近くに東成区版もあるので

ぜひ一緒に眺めていってみてください。



※この記事の写真は2019年5月に撮影したものです。


もう一つの「玉堀町の継承碑」の記事はこちら。





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【旧町名継承碑「玉堀町」】



最寄り駅は
JR環状線・森ノ宮駅
大阪メトロ・森ノ宮駅

ロイヤルホームセンターの前にあるよ!