この日は都島区にある

大阪メトロ・野江内代駅の周辺を
※(のえ うちんだい えき)

散策していました。



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駅からへ進んで行き、

小学校の所を西に曲がると

「内代公園」という小さな公園に到着。
※(うちんだい こうえん)



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特に気になる物も無さそうだったので

脇を通り過ぎようとすると、

公園の隅に石碑が建っていました。


あそこのって石碑ちゃう?

本当だ!
見に行ってみよう!

ウチが見つけたんやから、パン屋見つけたらパン買ってな。


発見したのは嫁のまーさん

いつも着いてきては

「パン買え、パン買え」と騒ぐけど

たまには役に立ちます。



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というわけで内代公園の中へ。

砂場コーナーの奥に石碑がある。




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碑には

「祈平和」

と刻まれていた。


祈る平和?
何だろうね。

戦争の慰霊碑ちゃうかな?

あー。そうかも。


周囲には案内板などもなく、

石碑が建ってるのみ。



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裏側に刻まれた碑文。

やはり昭和の戦争慰霊碑のようだ。


内容を少しまとめて

以下に書き記していきます。



「祈平和」の碑

昭和20年(1945年)6月7日
内代町が大空襲を被り火の海となる。
降り注ぐ焼夷弾・機銃掃射によって、
老若男女・幼児に至る60有余名が悲惨な犠牲となった。
犠牲者は全てこの地で荼毘に付され、供養塔が建立された。
※荼毘(だび)に付す=火葬すること

昭和49年(1974年)6月
町内世話人が話し合い、
公園整備で取り除かれた供養塔を再び建立
年毎の法要を営む。

昭和52年(1977年)6月5日
33回忌も無事に回向し、
供養塔に変わり世界の平和を祈る碑を建立する。



こちらの石碑は

戦災犠牲者の供養塔に変わるもので、

昭和53年6月に建立されました。



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「祈平和」の碑から

内代公園を眺めた写真。



大阪の町を焼け野原にした

「大阪大空襲」は計8回にも及び、

その第3回目の空襲によって

都島区は8割が被災しました。



今でこそ平和な内代町ですが、

戦時中は凄惨を極め

大勢の方が亡くなられたんですね。


ご冥福をお祈りします。



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戦争の悲惨さを現代に伝える

「祈平和」の慰霊碑



内代公園にお立ち寄りの際は、

亡くなられた方々に

手を合わせていただけると幸いです。



※この記事の写真は2019年5月に撮影したものです。


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【「祈平和」慰霊碑】



最寄り駅は
大阪メトロ・野江内代駅

「内代公園」の北西角にあるよ!