この日は港区にある

「天保山」を訪れました。
※(てんぽうざん)



天保山「日本で一番低い山」として
※(現在は二番目)

大阪で有名な散策スポットです。



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ここが「天保山」


「天保山公園」とも呼ばれ、

春先に訪れると桜が開花していて

とても綺麗な場所です。



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公園内の遊歩道に沿いながら

奥の方まで来たところ。


道を振り返ると、桜並木の背景に

「天保山大観覧車」が見えた。


ここから見ると景色キレイなんやで。

本当だ、桜と観覧車が見えるのがいいね。

よくこんな良い場所知ってたね。

天保山は学校行事とかで何度か来たことあるから。


地元民である嫁のまーさん

案内人代わりになってくれたので

公園を周りやすくて助かる。



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この小高い丘のようになっている所の

階段を下りていくと……。




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開けた広場に銅像を発見。

両脇の花壇にも石碑が2つ置いてある。


こんな奥に銅像が!

おー、こんなのあったんやなー!

奥まで来たの初めてやから知らんかった。


なにこの無能な案内人。

すぐさま役目を終えるんじゃねーよ。



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銅像に近付いてみる。


和服を着て、長い髭を生やした

いかにも立派そうな御仁の像だ。



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正面から。

少し削れて読みにくいけど、

台座に「西村捨三翁」と刻まれていた。



その場で調べてみると、

6代目大阪府知事「西村 捨三」
※(にしむら すてぞう)

という人物であることが判明。



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右側の花壇にあった石碑。

「西村捨三翁 顕彰碑」

と刻まれている。



詳細は写真をご覧ください。

他の史料と合わせた上で

内容をまとめて記していきます。



「西村捨三翁」
※(にしむら すてぞう おきな)

天保14年(1843年)7月
江州彦根に生まれる。
※(現在の滋賀県北部)

明治22年(1889年)
6代目大阪府知事に就任。

明治30年(1897年)
大阪の築港事業にあたり、初代築港事務所長に就任。
「大阪港」の基を築いた。

明治41年(1908年)
66歳で没。




「西村 捨三」翁

大阪府知事であると同時に、

大阪港を築いた功労者だったんですね。



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花壇左側の石碑。

こちらには

「大阪築港基石」と刻まれていた。


この石、めっちゃ三角やな。


役に立たない案内人から

どうでもいい感想が放たれる。



築港されたことにちなんで

この天保山公園がある地名も

「大阪市港区築港3丁目」


西村捨三翁の銅像や築港基石が

ここに置いてあるのも納得です。



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石碑の裏面にあった丸い窪み……。

何に使っていた穴なんだろう?




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西村捨三翁の像を後ろから撮影。

段差のある、かなり低い場所だけど

ここからでも大観覧車が見えた。



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銅像の後ろ側を眺めてみると

大きな石碑案内板を発見。


奥にもまだ何かあるよ。

ホンマや!

なんやろ…読めへん…。
ハンコの字みたいなヤツやなー。



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読めないので先に案内板を確認。

先ほどの石碑は

「朝陽岡」と銘される名石らしい。
※(ちょうようこう)



彦根藩主の井伊家に仕えていた

西村捨三翁の所縁の碑で、

翁の銅像を建設する際に

この場所へ移したとのこと。



上記は簡単にまとめた内容なので

詳細は写真をご覧ください。



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西村捨三翁が自宅で鑑賞していた

「朝陽岡」の碑


名石と書かれていたので

まーさんがさっそく触りに行った。


あー、確かにいい石やわ。

日に当たってるのに冷たい感じがする。


はいそれプラシーボ効果的なやつー。



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碑の裏側。

文字が刻まれているけど

難しくて判読できなかった……。



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「朝陽岡」の位置から

西村捨三翁の像を眺めてみる。


愛着のあった石碑と共に、

後世に偉業を讃えられているのだから

きっと翁も満足しているだろう。



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現代の大阪港の礎を築いた

「西村捨三翁の像」


天保山を訪れた際は

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2019年3月に撮影したものです。


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【西村捨三翁の像】



最寄り駅は
大阪メトロ中央線・大阪港駅

像は天保山公園の北東端にあるよ!