この日は港区にある

「天保山」を訪れました。
※(てんぽうざん)


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ここは天保山の船着き場や

バスの停留所がある、

「天保山客船ターミナル」前のロータリー


あそこにあるの何やろなー?

何だアレ?
ここからだとよく見えないな…。


一緒に歩いていた嫁のまーさん

ロータリーの中央に設置されていた

石碑のようなモノを発見。


…というか、あそこにどうやって行くの?

ウチも思った。
あんな所行けへんやんな…。



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少し手前に横断歩道があったので

そこを渡ってロータリーの中央へ。

こっちは石碑の裏面のようだ。


道路側が正面なのか。
すごい配置だなぁ…。

なんでこんな場所にあるんやろ?

ここまで足運ばないと見れないよね。

横断歩道を渡るにしても引き返さなアカンし、不便な場所やな…。


設置場所の利便性の悪さに

ぶちぶちと不満を漏らしながら

石碑を確認してみる。



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表側へ。

石碑には

「水と闘い水を収める
 港防潮区分団 創設25年記念」

と刻まれている。


治水関係の石碑のようだ。



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下側のプレート。

「港区の水災記録」

というタイトルと共に、

長々と説明刻まれていた。


詳細は写真をご覧ください。

簡単に内容をまとめて

以下に記していきます。



「港区の水災記録」
※(みなとく の すいさいきろく)

昭和20年(1945年)9月18日
枕崎台風による被害で防潮堤が決壊。
区民への水害影響は54日にも及んだ。

戦災による人口の激減・物資窮乏の中で
区民は懸命に立ち上がり防潮堤を補強。
「港防潮区分団」を創設した。


昭和25年(1950年)9月3日
ジェーン台風により大水害を被る。
港区は特に被害甚大で、
水中生活は12日にも及んだ。

この災害を教訓に大阪府市が
高潮対策を拡充強化する。


昭和36年(1961年)9月16日
猛烈な第二室戸台風が襲来。
市岡方面まで流水が及んだものの
浸水による大きな被害はなかった。
※(市岡=弁天町駅周辺)




港区で発生した台風による水災被害

区民の尽力による防水の記録

いわゆる「水防碑」の一つですね。



石碑の最後は

水防を常に忘れない心構えと、

水害喚起の言葉で締め括られています。



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先人が残した大切な教えの記録なのに

なぜこんな誰も通らないような

ロータリーの中に設置してるんだろう。


天保山の公園に置いた方が

人目に触れやすいと思うんだけど……。



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この上の石だけ妙に古い感じがする。

グレー色の石材部分は

後から追加したものなのかな。



この石碑や説明プレートにもあった

「港防潮区分団」というのは、

現在「水防組合事務所」という

組織になっているとのことです。



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石碑の裏側。

「製作
 中部日本開発 株式会社」

と刻まれていた。



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石碑の裏側のプレート。

すぐ手前に植え込みがあったので

少し斜めのアングルに……。



こちらには

「建設に協力された水防団員」

というタイトルが書いてあり、

この「水防碑」の建設に携わった人々の

名前が刻まれていた。



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目の前には「天保山大観覧車」がある。


石碑のメッセージが

道路側に面していることに加えて、


この巨大観覧車があることも

石碑の注目度の低さに

拍車を掛けている気がする……。



でも観覧車は一切悪くないので

そこら辺を履き違えてはいけない。



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港区区民が台風による水害に抗い

現在の治水に至ったことを伝える

「港区の水災記録」の石碑


ロータリーの道路側にあるので

周囲に気をつけて眺めてみてください。



※この記事の写真は2019年3月に撮影したものです。


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【「港区の水災記録」の石碑】



最寄り駅は
大阪メトロ中央線・大阪港駅

「天保山大観覧車」信号前のロータリーにあるよ!