この日は大阪市港区にある

「天保山」を訪れました。
※(てんぽうざん)



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「天保山」

日本一低い山として
※(2014年から2番目になりました)

地元大阪では有名な山。



人工的に築かれた山で、

江戸時代の天保2年(1831年)に完成したので

この名が付けられました。


※「天保山」の紹介・詳細については、記事の最後にリンクを貼っておきます。



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そんな天保山の北側

スロープを上がった所に

巨大な石碑が建っていました。



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こちらが石碑

石碑というか柱というか……。

とにかくメチャクチャ大きい



表面は劣化していて、

石の亀裂が全体に広がっていた。

遠目からでもかなり古いモノだと分かる。



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それにしても大きいなあ。

10mくらいはありそうだ。


土台が本体よりも新しく見えるので

一度改修したのかな?



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碑には

「大阪市青年聨合團 建立」

と刻まれている。



「聨合團」

「れんごうだん」と読みます。


あれ?
これって石碑を建立した団体の名前だよね?

…多分そうやろね。

同じ名前が書いてある石碑、見たことある気がするし。


建立者のことが書いてあるのは

石碑の裏側や側面が多い。



……というわけで表側を探して

嫁のまーさんと一緒に

石碑の周りをぐるぐる回る。



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あった!

ホンマやね!
こんな立派な字が掘ってあったんやな。

昔っから天保山にあったけど、こんなにまじまじと見るのは初めてやなー。


碑には

「明治天皇 観艦之所」

と刻まれていた。



明治天皇に関する記念碑のようで、

文字の感じからすると

ここで艦を視察したのだと思われる。


石碑が海側の方を向いていたのは

そのためかな?



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建立について記されていた面に戻る。

土台にプレートがはめ込まれていた。




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こちらのプレートは

「大勲位載仁親王殿下御題字」

という始まりで、

石碑の説明が記されていた。



詳細は写真をご覧ください。

昭和初期頃の難しい文章なので

分かった内容だけをまとめていきます。



「明治天皇 観艦之所」
※(めいじてんのう かんかんのところ)


明治元年(1868年)3月
明治天皇が大阪の天保山に行幸し、
観艦式に臨席された。

昭和4年(1929年)10月
明治天皇の観艦を後年に伝えるため、
この地に記念碑を建立した。




明治の初めに行われた

「観艦式」という軍艦の式典

明治天皇が来ましたよ~。


……という記念碑だったんですね。



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碑を真正面から見上げた写真。


色々と調べてみたところ、

この天保山で行われた観艦式

「日本で最初の観艦式」とのこと。



この天保山(大阪港)の観艦式には

明治新政府軍の軍艦6隻

フランス海軍の軍艦1隻が参加し、


当時の佐賀藩が所有していた

「電流丸」という軍艦が
※(でんりゅうまる)

旗艦を担ったそうです。



歴史の転換期となる時代に

新政府軍が行った日本初の観艦式……。

そりゃ巨大な記念碑が建てられるわけだ。



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記念碑の正面から北側、

大阪湾沿いを眺めた景色


グーグルマップで確認すると、

ここは大阪の町を流れる

「安治川」という川と
※(あじ がわ)

「大阪湾」の合流地点付近だった。


地図上だとココはまだ安治川みたいだよ

海ちゃうの?
こんなに波立ってるんやで?

んー。
地図だとギリギリ川かなー。

いやこれ海やろ。
さっき船も通ってたで。

じゃあ塩っ辛かったら海ってことにしよう。

ちょっとそこの塀乗り越えて、ペロッと舐めてきて。

なんでウチがペロせなアカンねん!
自分でペロしたらええやろ!

なんか濁ってるからイヤだ。

ウチやってイヤや!


白熱した議論の末、

天保山の辺りは海のイメージなので

「海でOK」という結論に達した。



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日本で初めて観艦式が行われたのが

この天保山であることを伝える

「明治天皇 観艦之所」の碑。



天保山の山頂を示す目印ではないので

ご注意ください。


※この記事の写真は2019年3月に撮影したものです。


「天保山」の紹介についてはこちらから




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【「明治天皇 観艦之所」の碑】



最寄り駅は
地下鉄・大阪港駅

天保山公園の北側にあるよ!