この日は福島区にある
JR環状線・野田駅の周辺を散策しました。
ここは駅からそこそこ西へ進んだ所にある
「野田緑道」という遊歩道。
※(のだ りょくどう)
先週紹介した
「兼平町の旧町名継承碑」が
設置されていた場所です。
この場所は緑道のほぼ中央。
遊具の無い公園のような
ちょっとした広場になっていました。
広場を通り過ぎようと思ったら
こんな所にもう一つ、
「旧町名継承碑」を発見。
めっちゃ近所に継承碑2つあるやん!
ちょうど町同士の境目なのかな?
嫁のまーさんとさっそく
継承碑を確認しに行ってみる。
「旧町名継承碑」とは、
昭和時代の区画整理で消滅した
昔の町名を現代に伝えるために
大阪市が設置した石碑のことです。
中央のプレート。
本来は青色のはずなんだけど
くすんでサビて変な色合いになっていた。
この継承碑、ボロッボロやな…。
一回川にでも飛び込んだのかねぇ…。
ホンマにそんな状態やね。
プレートの左下の隅をよく見ると
かすかに青色の痕跡が残っている。
何をしたらこんな色になるんだ……?
かなり読みにくいけど
何とか解読してみる。
どうやらこの辺りは昔、
「対込町」
という町名だったらしい。
読み方は
「ついこみ ちょう」。
詳細については写真をご覧ください。
「対込町」に関する部分のみ
以下に抜粋していきます。
「対込町」(ついこみ ちょう)大正14年4月西野田対込町が此花区に編入され、「対込町」となった。昭和18年4月此花区から福島区に編入された。昭和50年9月住居表示の実施にともない「対込町」は、野田五・六丁目の各一部となった。町名の由来は西成野田だった当時の小字名による。※(小字名=町名を更に細分化した名称のこと)
先週紹介した
「兼平町の継承碑」の近くだけあって
町名の変遷がほぼ同じですね。
「対込町」と「兼平町」は
野田緑道を境にした隣町だったんですね。
継承碑の横にあった倉庫。
「対込町会 倉庫」
と書いてある。
これ継承碑に書いてある旧町名やん!
本当だ!
当時の名残なんだろうね。
他の旧町名を調べている時にも
たまにビルや駐車場の名前などに
名残がありましたが、
ここは町会名として残っていました。
こういうのを発見すると
なんだか面白いですよね。
継承碑の所から広場を眺めた写真。
ちょうど広場を挟んで対面側に
「兼平町の旧町名継承碑」がある。
写真中央に見える東屋の少し左。
……小さいけど見えるかな?
かなりボロボロになっている
「対込町」の旧町名継承碑。
近くを通り掛かったら
ぜひ眺めていってみてください。
※この記事の写真は2019年4月に撮影したものです。
話に出てきた「兼平町の旧町名継承碑」についてはこちらのリンクからどうぞ。
【旧町名継承碑「対込町」】
最寄り駅は
JR環状線・野田駅
JR環状線・西九条駅
場所は「野田駅」と「西九条駅」の中間くらいだ!
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