この日は福島区にある
JR環状線・野田駅の周辺を散策しました。
こちらは野田駅から西へ進んだ所にある
「野田緑道」という遊歩道。
※(のだ りょくどう)
弧を描くようなカーブを見せる
少し変わった形をしたこの緑道は
鉄道の廃線跡だそうです。
そんな野田緑道の片隅に
ポツンと建つ石碑を発見。
「旧町名継承碑」だ。
あっ!
あっ!
どこにでもあるな…継承碑。
この見た目、ちょっと飽きてきたわ。
飽きたとか言うな。
「見た目が飽きた」とか
誰一人対処できないクレームをつけてくる
嫁のまーさんと継承碑を確認する。
誰一人対処できないクレームをつけてくる
嫁のまーさんと継承碑を確認する。
初めて見た人のために説明すると
「旧町名継承碑」とは、
昭和時代の区画整理で消滅した
昔の町名を現代に伝えるために
大阪市が設置した石碑です。
横から見ると細長いんだよ!
中央のプレートを確認したいけど
周りに花が咲いてるので
近寄っていいのか迷う……。
花踏まんように気を付けたらええんちゃう?
そうだね。
草のヤツは踏んでええやろ、こんなもん。
所詮は雑草だしな。
この草どもは
石碑の文字を隠したり、道を阻んだりして
素行が悪いので冷遇される運命にある。
石碑の文字を隠したり、道を阻んだりして
素行が悪いので冷遇される運命にある。
……それでも一応、
草の薄い部分を選びながら進んだ。
この辺りは昔、
「兼平町」
という町名だったようだ。
読み方は
「かねひら ちょう」。
詳細は写真をご覧ください。
「兼平町」に関する事柄のみ
以下に抜粋していきます。
「兼平町」(かねひら ちょう)大正14年4月西野田兼平町が此花区に編入され、「兼平町」となった。昭和18年4月此花区から福島区に編入された。昭和50年9月住居表示の実施にともない「兼平町」は、野田四・六丁目の各一部となった。町名の由来は西成野田だった当時の小字名による。※(小字名=町名を更に細分化した名称のこと)
この辺りが西成野田の地名だった頃に
「兼平」という地域があったようですね。
調べてみたけど、
「兼平」そのものの由来は
出てきませんでした……。
兼平姓の人が住んでいたのかな?
継承碑から南方向を眺めた風景。
ここは野田緑道のほぼ中間位置で、
東屋やベンチなどが並ぶ
公園のような広場になっていた。
廃線跡の野田緑道にひっそりと佇む
「兼平町」の旧町名継承碑。
近くを通り掛かったら
ぜひ眺めていってみてください。
※この記事の写真は2019年4月に撮影したものです。
【旧町名継承碑「兼平町」】
最寄り駅は
JR環状線・野田駅
JR環状線・西九条駅
駅からそこそこ歩くぞ!
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