この日は福島区にある

JR環状線・野田駅の周辺を散策しました。



0625_01

こちらは野田駅から西へ進んだ所にある

「野田緑道」という遊歩道。
※(のだ りょくどう)


弧を描くようなカーブを見せる

少し変わった形をしたこの緑道は

鉄道の廃線跡だそうです。



0625_02

そんな野田緑道の片隅に

ポツンと建つ石碑を発見。

「旧町名継承碑」だ。


あっ!

あっ!

どこにでもあるな…継承碑。

この見た目、ちょっと飽きてきたわ。

飽きたとか言うな。


「見た目が飽きた」とか

誰一人対処できないクレームをつけてくる

嫁のまーさんと継承碑を確認する。



0625_03

初めて見た人のために説明すると

「旧町名継承碑」とは、


昭和時代の区画整理で消滅した

昔の町名を現代に伝えるために

大阪市が設置した石碑です。


横から見ると細長いんだよ!




0625_04

中央のプレートを確認したいけど

周りに花が咲いてるので

近寄っていいのか迷う……。


花踏まんように気を付けたらええんちゃう?

そうだね。

草のヤツは踏んでええやろ、こんなもん。

所詮は雑草だしな。


この草ども

石碑の文字を隠したり、道を阻んだりして

素行が悪いので冷遇される運命にある。


……それでも一応、

の薄い部分を選びながら進んだ。



0625_05

この辺りは昔、

「兼平町」

という町名だったようだ。


読み方は

「かねひら ちょう」。



詳細は写真をご覧ください。

「兼平町」に関する事柄のみ

以下に抜粋していきます。



「兼平町」
(かねひら ちょう)


大正14年4月
西野田兼平町が此花区に編入され、
「兼平町」となった。

昭和18年4月
此花区から福島区に編入された。

昭和50年9月
住居表示の実施にともない「兼平町」は、
野田四・六丁目の各一部となった。

町名の由来は
西成野田だった当時の小字名による。
※(小字名=町名を更に細分化した名称のこと)




この辺りが西成野田の地名だった頃に

「兼平」という地域があったようですね。


調べてみたけど、

「兼平」そのものの由来は

出てきませんでした……。

兼平姓の人が住んでいたのかな?



0625_06

継承碑から南方向を眺めた風景。


ここは野田緑道のほぼ中間位置で、

東屋やベンチなどが並ぶ

公園のような広場になっていた。



0625_04

廃線跡の野田緑道にひっそりと佇む

「兼平町」の旧町名継承碑。


近くを通り掛かったら

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2019年4月に撮影したものです。


↓↓ブログランキングに参加中です↓↓
  よかったら押していってね






【旧町名継承碑「兼平町」】



最寄り駅は
JR環状線・野田駅
JR環状線・西九条駅

駅からそこそこ歩くぞ!