この日は
JR環状線・福島駅の周辺を散策。
駅から南方向に進んで、
「中之島」沿いの道を歩いていました。
ここは福島にあるテレビ局、
「朝日放送テレビ(ABC)」の南側。
写真右側に見える
茶色いチェック柄の建物が
朝日放送テレビです。
この朝日放送テレビの一角で
少し変わった形の石碑を発見。
…この石碑、羽がついてるね。
どっか飛んでいきそうやなー。
石碑が飛んでいってしまう前に
嫁のまーさんと確認してみることに。
碑には
「福沢諭吉 生誕地」
※(ふくざわ ゆきち せいたんち)
と刻まれている。
この場所は、あの一万円札でお馴染みの
福沢 諭吉さんが生まれた地らしい。
福沢諭吉って大阪出身だったのっ!?
はぇ~。そうやったんや。
えっ…?
えっ…?
大阪育ちのまーさんも知らない様子。
もしかして地元大阪の人でも
知らない人が多いのかな?
私も知らなかったので
碑を発見した時はとても驚いた。
足元の碑文。
福沢 諭吉さんについてかと思ったら
そのお父さん「福沢 百助」さんの
生涯が書かれていた!
お父さんまで出てくるとややこしいので
ここでは福沢 諭吉さんについてのみ
以下にまとめていきます。
「福沢諭吉 生誕地」(ふくざわ ゆきち せいたんち)「福沢 諭吉」は幕末~明治時代の教育家。天保5年(1834年)12月12日、当地にあった中津藩蔵屋敷で生まれる。「緒方 洪庵」が大坂で開設した※(おがた こうあん)「適塾」で学問を学び、影響を受けた。その後、江戸幕府の外交に3度随行し、安政5年(1858年)、江戸に「慶應義塾」を開設した。※(けいおうぎじゅく)明治34年(1901年)2月3日、東京にて没。
調べてみたところ、
福沢 諭吉先生はわずか1歳の頃に
中津藩士のお父さんが亡くなってしまい、
※(中津藩=現在の大分県中津市)
お母さんと中津藩へ帰藩。
幼少期は大分県で過ごしたそうです。
大坂で生まれた印象が薄いのは
そういう理由からなんですね。
そんなわけなので、すぐ近くに
「中津藩蔵屋舗之跡」という
中津藩の蔵屋敷跡を示す
石碑も建っています。
意味を知ると、諭吉先生の生誕碑と
セットになってるのも頷ける。
蔵屋敷跡の石碑は
別で紹介したいので
こちらはまた後日にでも……。
生誕碑の裏側。
羽ばたきそうな石碑だと思ったら
本当に鳥の形をしていた。
鳥やん!
この石碑、面白いなー!
なんの鳥だろう?
なんやろな?
福沢諭吉に関係ある鳥ちゃう?
一万円札に描かれてる鳥とか?
あっ、それやね! きっとそういう鳥なはずやで!
現在の一万円札に描かれている鳥は
平等院の鳳凰像。
こいつは……鳳凰じゃない。
一つ昔の一万円札の鳥はキジなので
もしかしてキジかな?
裏側の鳥を正面から撮影。
……キジ?
キジ……なのか?
誰だオマエ。
オマエに関する情報が少ない。
なんとか言え。
実は、生誕地の碑の左側にも
もう一つ石碑がある。
こちらの碑には
「天ハ人ノ上ニ
人ヲ造ラズ
人ノ下ニ
人ヲ造ラズ」
と書いてある。
福沢 諭吉先生の著書、
「学問のすすめ」の有名な一節だ。
「人は皆平等です」
という意味で解釈されているけど、
実はこの言葉はあくまで一節。
続きの内容を合わせると、
「人は皆平等です。
……と言われてるけど現実は違います。
富や権利を求めるなら学びましょう」
という意味になります。
「人の間に差はない」という前提なので、
「皆平等」の意味で間違いはないけど、
「それでも実際の世の中は違ったんだ…」
という諭吉先生の魂の叫びが
続きにあったんですね。
……今日はそれだけでも
覚えてもらえたら嬉しいです。
真面目な話になったから
もう1回鳥見る?
どうぞどうぞ。
……この人、何の鳥なんだろう?
裏側。
「天は人の上に~~」の石碑は
昭和60年1月10日に
福沢諭吉生誕地顕彰会が建立。
福沢諭吉が大阪出身だったことを伝える
「福沢諭吉 生誕地」の碑。
近くを通り掛かったら
ぜひ眺めていってみてください。
※この記事の写真は2019年1月に撮影したものです。
【「福沢諭吉 生誕地」の碑】
最寄り駅は
JR環状線・福島駅
JR東西線・新福島駅
京阪電車・中之島駅
阪神・福島駅
朝日放送テレビ(ABC)の南側、堂島川沿いにあるよ!
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