この日は大阪のターミナル駅

「天王寺駅」の周辺を散策。
※(てんのうじ えき)



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天王寺駅の南側を走る

「あびこ筋」という大通りを

西へ向かってニョロニョロ進む。



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阪神高速の高架の前に出てきた。

場所は西成区の「山王」という町。
※(さんのう)




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この高架のすぐ側で、

大きな岩型の石碑を発見しました。



……これはなんて言えばいいんだろう。

とにかくすごい場所にある。

ゴミも散乱してるし……。



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……石碑のことが気になるけど

敷地内はフェンスで囲まれており、

入ることはできない様子。




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フェンスの隙間から覗いた写真。


石碑の手前にもフェンスが見える。

正面からは確認できないな……。



ちなみにこの日は珍しく

嫁のまーさんと別行動です。


でも居ないと何だか寂しいので

着いてきたテイで勝手に話を進めるよ!


・・・・・・


これがまーさんです。

魂が抜けてますね。このまま行きます。



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フェンスの横の路地。

ここから石碑に近づけそうだ。


近づけそうだよね、まーさん


・・・・・・

・・・・・・ハイ。


よしオッケ!

行ってみよう!



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こちらが石碑

土台が石垣のようになっていて

かなり立派な石碑だ。




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石碑には

「上方演芸 発祥之地
 てんのじ村 記念碑」

と刻まれていた。



どうやら上方演芸の発祥となった
※(かみがた えんげい)

「てんのじ村」

というモノがここにあったようだ。



「上方」は近畿・関西地方のことで、

「演芸」は、

演劇や落語、漫才などを総括した名前。



つまりこの場所は

「関西芸人の始まりの地」



……よく年末年始になると

上方漫才という番組をやってるので、

「大御所って意味かな」と思ってたけど、

上方ってそういう意味だったんだ。



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土台の石垣にあった碑文。


ちょっと読みにくいので、

内容を簡単にまとめて

以下に記していきます。



「てんのじ村 記念碑」
(てんのじむら きねんひ)


かつて広大な地域を占めていた

「天王寺村」の中心地に

通称「てんのじ村」があった。


昭和20年の戦災を免れたこの地に

芸人の大半が結集し、

芸人文化の発展や飛躍の拠点となった。




戦後に芸人さん達が集まる地域が生まれ

通称「てんのじ村」になった。

……という経緯なんですね。



「天王寺」が訛って

「てんのじ」に転じたと思うんだけど、

この表現がなんだか大阪っぽくて好き。



まーさんもそう思う?


・・・・・・


そう思うって。



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石碑の裏側。


厳重に囲われているためか

あまり管理の手が届かないようで

石碑にはツタが絡んでいた。



「てんのじ村」について調べたところ、

最盛期を迎えた1950年頃

300人以上の芸人さんが住んでおり、


新世界道頓堀などに出向いて

磨いた芸を披露していたそうです。


関西の芸人さんの奥深さや人情は

ここで培われたんですね。




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裏側の碑文を拡大。

この石碑は「昭和52年11月」に建立。




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石碑を囲む玉垣。

この玉垣の間にも柵がある。


その奥のフェンスと

さらに歩道前のフェンス、

合わせて3重の厳重な施錠だ。



どうもフェンスが無かった時代に、

石碑の足元で暮らし始める

野性味あふれる方々がいたようで

その対策ということらしい。



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路地の先は行き止まり。

横には古くから営業してそうな

趣のある旅館があった。




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この地が芸人村だったことを伝える

「てんのじ村 記念碑」。


近くを通り掛かったら

遠くから眺めていってみてください。



※この記事の写真は2019年2月に撮影したものです。


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【てんのじ村 記念碑】



最寄り駅は
地下鉄・動物園前駅

・・・・・・