この日は大阪ミナミの繁華街

「心斎橋駅」の周辺を散策しました。



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ここは多くの修学旅行生が訪れる

大阪で人気のエリア「アメリカ村」



そのアメリカ村にある

ショッピングモール「心斎橋OPA」

南西角で石碑を発見しました。


いつものアイツです。



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いつものアイツこと

「旧町名継承碑」



『なんか…植え込みがすごいね』

『浮かれてるというか…』

『ホンマやな…。
 なんやねんコレ』

『なんて言ったらええんか分からへんけど
 トロピカルフルーツな感じやなー』



一緒に来た嫁のまーさんによって、

トロピカルフルーツにされた継承碑


南国風と言いたかったみたいだけど、

気持ちは分からないでもない。



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この石製トロピカルフルーツ

知らない方のために説明すると、



こちらは

昭和時代の区画整理で消滅した

昔の町名を現代に伝えるために

大阪市が設置した石碑で、

「旧町名継承碑」という名称。



このブログでは

大体、週1の間隔で登場しています。

ヨロシクね。



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草「うぇ~いっ!!」



この中央の青いプレート

旧町名の名称や経緯、由来などが

書いてある……んだけど……。


が邪魔だな……。

身勝手に成長しないでほしい。



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まーさんを退かしてくれたので

その間にプレートを撮影。



どうやらこの辺りは昔、

「大宝寺町西之丁」

という町名だったようだ。


読み方は

「だいほうじまち にしのちょう」かな?



詳細は写真をご覧ください。

「大宝寺町西之丁」に関する部分だけ

以下に抜粋します。



「大宝寺町西之丁」


明治5年3月
大坂三郷南組の大宝寺町全域と
(かざり)町の一部だった当町が、
「大宝寺町西之丁(町)」となった。

その後、南区・大阪市に編入され

平成元年2月
南区が東区と合併して中央区となり、
さらに住居表示の実施にともない、
「大宝寺町西之丁」
西心斎橋一丁目、心斎橋筋一丁目の各一部となった。

町名の由来は
「大宝寺」がこの町筋の西部
所在していたことから。



「大宝寺」というお寺にちなんで

町名が付けられたようですね。



当時、この付近にあった大宝寺

「大坂の陣」の後(江戸時代・初期頃)に移転。

現在は天王寺区の生玉寺町にあります。



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碑は「心斎橋OPA」の裏手にある。



『ここちょっと分かりにくいなー』

『あの「OPAきれい館」っていう
 別館みたいなのが目印かな?』

『あー、そうやろねー』

『あそこ何で「きれい館」って
 名前なんだろう?』

『んんー』

『エステ系の看板が沢山あるから
 人間を綺麗にするって意味なんやろ』



人間を綺麗にする?

原始人みたいな発想だな……。


「オレ、ニンゲン、キレイニスル!」

みたいな感じがしてきた。



トロピカルだったり原始人だったり

色々大変だな、アメリカ村



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現在、天王寺区にある「大宝寺」

昔はこの付近あったことを伝える

「大宝寺町西之丁」の旧町名継承碑。



近くを通り掛かったら

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2019年4月に撮影したものです。


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【旧町名継承碑「大宝寺町西之丁」】

※MAPの「心斎橋OPA」の北西角にあります。


最寄り駅は
地下鉄・心斎橋駅