この日は大阪ミナミの繁華街

「千日前」の周辺を散策。
※(せんにちまえ)



厨房機器や調理道具の専門店が並ぶ

「千日前道具屋筋 商店街」

東にある路地を歩いていると……。



0521_01

公園らしき空間に

見覚えのある石碑を発見。


ちょっと分かりにくいけど、

コカコーラの自販機の横に見える

白くて青いヤツが石碑。



『ぁ゛っ! 石゛碑゛だ』

『ぼんま゛やな゛』



この日、嫁のまーさん

乾燥でノドをやられており、

ヤバイくらいダミ声になっていた。



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柵の中に守られている石碑。

「旧町名継承碑」だ。



この公園は近隣の住民の

喫煙スポットになっているようで、

園内のいたる所に

手作りの吸い殻入れが置いてあった。


見た目がドス黒くて

ちょっとアレだったので

ぼかしを入れておきました……。



0521_03

継承碑があったのは

「難波千日前公園」


道具屋筋商店街の裏手にある

小さな公園だ。



0521_04

知らない人のために説明すると

「旧町名継承碑」というのは、


昭和時代の区画整理で消滅してしまった

昔の町名を現代に伝えるために

大阪市が設置した石碑のこと。



過去の町名を知ることで

町の意外な姿が分かったりするので

なかなか侮れないものです。



0521_05

碑文によると、この辺りは

「河原町一~二丁目」

という町名だったようだ。


読み方は

「かわら まち or ちょう
 いち~に ちょうめ」。



詳細は写真をご覧ください。

「河原町一~二丁目」に関する部分だけ

以下に抜粋していきます。



「河原町一~二丁目」

大正15年4月
浪速区の難波河原町一~二丁目の町が
「河原町一~二丁目」となる。

昭和18年4月
町域の一部が南区に編入された。

昭和57年2月
住居表示の実施にともない、
町域の各一部が難波千日前、難波三丁目、
千日前一~二丁目の各一部となった。

昭和58年2月
住居表示の実施にともない、
残部が日本橋一~二丁目の各一部となった。

町名の由来は
町域内に東西に流れる溝があり、
その両側が河原となっていたことから。



繁華街・千日前の中心部には

かつて河原があったようです。


「溝」と明記するくらいだから

川ほどの広さはなかったのかな?



いずれにしても

飲食店やビルが建ち並んでいる

現在の街並みからは

とても想像がつかないですね。



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継承碑が設置されている

難波千日前公園の様子。



『め゛っぢゃハトお゛るやん』

『ゴイヅら、どごにでもい゛るなー』

『な゛んか鳴き声゛が大ぎい
 ハトが1匹い゛るね』

『ぶるっぶーッ、ぶるっぶーッって
 言っでる゛よ』

『不気味や゛なあ゛ー』



壊れかけのロボみたいな音を吐き出す

まーさんの方が

はるかに不気味だったと思う。



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公園の真ん中から継承碑を撮影。


よく見ると継承碑のさらに奥に

黒色の大きな石碑があった。



『あぞこに゛も
 別の石゛碑があ゛るで』

『ぶゅるるルル゛ル゛ッ!』

『!?』

『…今の゛なに?』

『驚い゛だら、ノドから゛
 変゛な音が出だ』

『何言うでる゛んか
 分゛から゛へん』

『何゛? 何て言っだの゛?』



ダミ声の呪いで

耳が遠い老夫婦みたいなやりとりが始まる。



あっ、この黒色の石碑

継承碑とは関係なかったので

また改めて紹介します。



0521_08

昔この辺りに、東西を流れる

河原のような溝があったことを示す

「河原町一~二丁目」の旧町名継承碑。



近くを通り掛かったら

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2019年4月に撮影したものです。


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【旧町名継承碑「河原町一~二丁目」】



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